MISAKI SHIBAYAMA
ART
241
流れる車窓からの景色を見ていた。景色自体は、動いてなどいないのに。流れてくる水流に逆らってすごいはやさで私以外が過ぎ去って、取り残されるように。私を景色に取り込もうとする景色を振り切った先に、きれいな独りの魂に出会うだろう。
242
美しい景色やムードや文脈に、関連しないでいることの清々しさ。
243
毛細血管の先、伸びる蔓の端、新しい芽の生まれるところ。
その先は行き止まりのようにも見える。
先端に届いた酸素や水が端を押し広げていく力は、
か細くて力強い。
244
「伸長する」
0が1になり、また0になるのを繰り返すのではなく
1が2になり、3になる
その神秘、伸びていく希望、ありえなかったものが生まれる瞬間
245
植物の根の先
細胞が増えていく現場
あまり話したことのない人と共に過ごす時間
カレンダーの先を3枚めくったところの白紙
これからを感じさせるところ
今はまだない
甘いものも苦いものもすべてあわせた
あわい期待が待っているところ
246
絵は小さく描くと小さな絵になるけれど、言葉は小さく書いても、意味上のスケールを失わないから不思議だ。
247
美しいものは見ようとしない人の前には現れない。
ここにあるものの美しさは、成り立ちや構造、これから進行する形、それらのグラデーションから生まれて、ここにあることの美しさに重なる。
そして不思議なことに理由の無さはひときわ物事を美しく見せる。
248
今日の木漏れ日も、雨粒も風の音も、持って帰ることはできないから、どうやってそれを保存するか心配なのだけれど、大丈夫。
心にとって本当に必要なとき、それらはまた、我が身に降り注いでくれるものだ。
249
身のまわりに美しいものを集めたり、どこかに行ったりすることも大事だけれど、
自分の器を手入れしておくこと、ぴかぴかの空白を持って、どんなものだって注げるようにしておくことも同じくらい大事だ。
250
他人の言葉の意味を深読みして、疲れを通り越してもう無関心になってしまった。
私のためでない木漏れ日や夜景、ただ流れてくる誰かの言葉はこんなときにも私を放っておいてくれて嬉しい。
251
仮に毎日の習慣をひとつずつ減らしてみるとわかるだろう。
雑然とした毎日の行動が実は高度に関係して階層を形成し、それらによってどれだけあなたが救われていることか。
252
いらないものを捨てたら、望むように早く走れるんじゃないの?
そう見えても
いらないものの定義も、しっくりくる速度も
人によって全然違うんだ。
253
窓ガラスを濡らす雨粒のパターンは視界いっぱいに広がり
落ち葉の色と薄い厚みは日増しにレイヤーを形成していく
自然の中にすでにありすぎる抽象画、抽象的な映像
…たった一枚の動かぬ絵を求める人をよそ目に
254
「しばらく距離を置こう」と、せっかく決意したというのに、
それを伝えるまでもなく、あなたとわたしを隔てる距離はもう、
すでに見えないほどなのだった。
せっかくの決意を伝えようとすれば、言葉とはうらはらに
あなたに接近しなければいけないのだった。
255
心の機微に鈍感でいられるのは、ある意味でたくましいことなのかもしれない。
無痛覚のからだとこころを手に入れて、発言と傾聴さえも、完全にひとりで完結する仕組みを手に入れてしまったら、もう
「わたし」も「あなた」も必要ではないのかもしれない。
傷つくことを手放したら
それ以前に戻れなくなってしまった。
256
無意味に広がる空間の中でともに居続けるためには、
ちゃんと毎日座標や番地を確かめることを怠らないことだ。
257
車の窓についた水滴をかきとると、網目状の抽象画が現れた。
1秒に1度、生まれては消える絵。
人がそれを絵だと思うとき、意図しない現象を愛し、研究することだってできるのだ。
258
夏が終わった、がむしゃらにがんばったというより、日々の変化と自分を見つめた夏だった
新しいスタートを後押しする台風一過の優しい日射し
259
調子の良いときもあれば、だらだらと力無く横たわるしかない日もある。人が憎いときもあれば、なにもかも許せる瞬間もある。
こうして書く手紙が来年、再来年も力を与えてくれるように。
そのすべての瞬間を肯定してくれるように。
260
とんぼが空高く舞い上がる、日射しが、くすんだガラスのように、弱く静かに佇んでいる。
目をしっかりと見開いて空を見上げるのに良い季節。
261
今日これきりでもう二度と会わないと思うと清々しく別れを告げられる。別れることは出会うこと以上に難しい。そして明日も明後日も会う人とのこれからに、昨日私は苦くも、別れを告げた。
262
「単純」
複雑になりすぎた感情は、目に見えず一定でなく、言い表すことすらできそうにない。
からだやこころが本来持っているすばらしい
機能、
単純さを取り戻すために。
263
「回復」
昔話や神話、最近の幻想的な物語まで。
「その水を飲むとたちまち病が治った」というシーンを見る。
人智を超えた現象、嘘のような回復。
現実世界での回復とは、
どん底でひとり、何も持っていなくて、何も感じなくなってしまったときにやっと一雫の水が落ちてきて、そこから全く新しい意識が生まれるようなこと、また自分の足で、歩き始められることだ。
264
「忘却曲線」
今日一日で見たことや聞いたことのうち、明日まで持って行けるものは少ないのかもしれない。
昨日に置き去りにしたこと、それはどこに行くのだろう。
別の誰かが、もったいないからと集めておいてくれたりはしないのだろうか。
265
私たちは旅をしている途中だから、
「今日」拾ったものがどんなにきれいでも、「明日」まで移動するときには、必要最低限の荷物だけを、かばんに詰めて持って行く。
寂しいけれど未知なる「明日」は焦がれるほどに魅力的だ。
266
時計をわざとなくした。昨日の備忘録も、明日のスケジュールも、
もうわからないように捨てた。
これで強烈な「いま」を実感できるだろうか?
267
ひとは、強烈な「いま」だけではいつか気が狂ってしまう。
268
昨日までを保存すること。
明日へ、莫大なエネルギーを費やして移動すること。
それらの手間は、ひとが強烈な「いま」に魅せられて、
狂ってしまわないための手段。
269
身体に悪いことや大体の快楽は
持続しない現在に夢中にさせる。
270
滑り落ちた、昨日までも明日からも、
本心や道徳でさえも。
271
当たり前の幸せを、他人が提供してくれるわけではない。
同じ当たり前は、他人は持っていないから。
自分の当たり前が他人にとって特別な輝きを持つなら
きっといいことが起こるだろう。
272
同じ人と一緒にいることの特殊、
同じ地に長く居続けることの偶然、
たまには違う人の声や、違う土地の景色や味に、触れてみるのもいいだろう。
273
同じものばかり食べていると味覚は鈍感になる。
生きている人でも、同じ考えにばかり浸っていると腐ってしまう。
274
少ない時間に、できるだけ多くのことを伝えようとして、たくさんの言葉を詰め込む彼女。
でも言葉は脆弱で誰かに拾われなければ
音になって消えるだけ。
275
生けていた花が数日後に枯れ始めると、透明だった水が一気に澱んだ。
生けていた花は、仮に死んでいたのだ。
死はこんな風に突然、目に見えるかたちになって現れる。
276
そうしつの こころにしみる たきのおと
むしといっしょに しんでゆくなつ
277
楽しかった思い出を、古い瀬戸ものを出してきて埃を払うように、思い出しては磨き清めて、桐箱へ大事にしまった。
もうこの箱を開けることはないかもしれない。
278
もう触れることのない人との思い出は
きれいにしまわれた器と同じで
きれいなだけで、
もう、使うことはないだろう
279
今さら掌の中に入れても、抱き寄せても、小さな心は鳥のように空を求めて飛び立ってしまった後だ。
280
それは
警戒心が強く臆病で、そうかと思えば大胆で
居心地の良いところにしか降り立たない
小さな鳥のようだ。
281
今眠ると、もう二度と目覚められないのではないかと思うような
喪失感から来る強い眠気
282
単純なことの繰り返しが、ほんとうにひどい傷でさえ癒すことができるのは、この世界の基盤には「単純なこと」と「繰り返すこと」がしっかりと組み込まれているからだろう。
283
高速でかけぬける
アクセルを踏む 水中モグラ
なんのおともしない光もはいらない
トンネルの中
ふりかえれば もう闇
無音の世界 地底でも海底でもいい
人一人ほどのホールをつきぬける
どこまで行っても 誰にも会うことはない
284
かけがえのない はずなのにあってもなくてもどちらでもいい
奇跡である はずなのに誰しも同じく
ただ繰り返すだけ
日常を生きることがすでにもうこんなにも
困難だ
だから 日常を題材にして書いている
285
賢い人
その人が口を開けば皆が静まり耳をそばだてる
ありふれた易しい言葉に
弱さ、醜さ、気高さの、なにもかもが包まれ
誰もがふと来た道をふりかえる
286
わざわざ危険な場所に行かなくたって、
日常がすでにサバイバルだ
ナイフもなく丸腰で、
生身の他人と渡り合うのだ
287
人に比べてものすごく多くのことに気がつく
人は
気がつくたびに迫られる 可か? 非か?
の選択に耐え抜いて来た人だ。
288
どれだけ深く悲しもうと、喜ぼうと、
そのくらいでは
このよそよそしい世界にひびも入らない。
人と人のあいだにある目に見えない「関係」の道は
すこしの悲しみでひび割れ、すこしの喜びで修繕される。
289
有か無か、嘘か本当か、そのぎりぎりのところを書くこと。
290
他人にもっとこうなってほしいとぶつけること
わたしはもっとこうでなければならないと強いること
どちらも根っこは同じところから生えているような気がする
ちょっととりあえず休戦しよう
291
複雑になりすぎて雁字がらめになっていた
じたばたするのをやめたら
時間をかけて
ほどいていくこともできるのかな
一本の細く長い紐があらわれるまで
292
男らしさや女らしさ、親らしさ、子どもらしさに縛られるように
いつのまにか自分で自分を罠にはめている。
わたしは、もう一回り大きくなれるだろう。
293
あなたが思っているよりも、あなたは頼れるやつだ。
いのちを動かす原動力、その機構、パワフルなモーター、
あなた自身を乗せて、どこまでも連れて行くのだ。
294
健全なからだとこころ、食事、睡眠、気晴らしのすばらしさ
そして前を向いている人の、横顔の美しいこと
たとえ打ちのめされても、弱さを受け入れて
また
立ち上がる魂
295
上を向いて伸びていく力、重力に逆らって
重たくなって
また重力に従って落ちてゆく
登ることと落ちることを繰り返している
怖れることはない
またここへかえってくる
296
秋になって無気力にならないために、
平常運転よりも1.5倍くらいの
スピードと集中力で、
迫り来る秋、美しく快適な豊穣の秋を満喫すること。
297
徐々になんて慣らさないで、腹を括ってどっぷりと、
このあまりに寂しい秋と冬を楽しもう。
298
楽しいも悲しいも、あれがしたいもこれが好きも、ふっと湧いたときにしかと捉えて感じておかないと水のように流れていってしまう。自分の気持ちですら感度を上げないと手に入れられないような、昨今。
299
自然に抱かれていれば、
自分は自在でいられる。
そんな風に思うことは、いま、可能だろうか。
300
ぐしゃぐしゃのからだ、すべすべのこころ
服も着ないで渡る
何も答えが書いていない、言葉の河