MISAKI SHIBAYAMA
ART
181
仰ぐ大空や、月や見渡す海。
その前で話すあなたや私は数十年の歴史しか持ちえないのに、その背景になっているあれらはどのくらい前から今と変わらなくて、どのくらい先まで今と変わらないのか。
182
川のほとりに集う身体、
水の中にいる存在をみな、探しにゆく
内なる子どもを、そして母や父を、
経過した時代を取り戻しにゆく
183
深く深く湖の底を泳ぐような音が聞こえる。
澄んだ水がのしかかる。
斜線になった光が点々と降りてくる。
呼吸をあきらめて今肺の中にある空気でとりあえず行けるところまで行ってみようと思う。
なにかを手放したら、もう少し先まで行ける。
そこでいつも目を覚ます方を選んでしまう。
184
私の骨をつくるもの、肉をつくるもの、脂肪をつくるもの、それはかつて別の他者の骨をつくっていたもの、肉であり脂肪であったもの。
185
私の家を、私の庭をつくるものはかつて野性が、家としていたもの、庭としていたもの…。
けれども私の絵は、未だかつて誰かの絵であったことがない。
186
描くためには大量の情報が必要だ。
歩く。買い物をして、食べ、人に会う。人に触り人と話し、ふらふらする。ひとりになって、感想を抱き、
忘れて、
眠る間に情報を整理する。
いつも何かが入る隙間を空けておく。
187
たくさんの経験や情報を、水を飲むように取り入れては忘れていくこと、それが生産的なことかと聞かれたら、少し考えてしまうけれど、ずっとは同じではいられない身体に毎日水が必要なのと一緒で、内側から突き上げてくる欲求と折り合いをつけてやっていくために、こまめにそれらを補給しているだけなのだ。それが少し寂しげに見えるだけなのだ。
188
なにもないところが好きだ。
なにもないところは、昔はなにかがあったのか、
今からなにかが生まれるのか、
最初から最後までなにもないのか、
誰かがずっとなにかを待っているのか、わからないけれど
それが好きだ。
189
思い出したときに、あの人のことは大嫌いだと思える人は、多分真逆の感情を持っていた時期があった人で、
考えても「今は仕方ない」と思えばさらさらと、心が平らになるような人とはまだ、何も始まっていないのかもしれない。
190
人を忘れる
人に強いる
人を抱く
人を認める
人を塗る
191
漫然とした不安、それはずっと前から共にいる友人のようなのに、顔も思い出せない、何色なのかもわからない。
きっとそれに色が塗られたとき、景色が一変するのだろう。
192
この人と一緒にいたら迷子になるんじゃないかな、
と思わせる不安の匂いと、
この人とだったらきっと遭難しても生きて帰って来れそうだ、
と思わせる希望の匂い。
どちらもない交ぜになった思春期のような匂いがする。
193
高層ビルの赤いランプは、飛行機がぶつからないように点いている。
ということを知る前は、私が見ているから、深夜でも光ってくれていると思うことだって出来たのに。
194
宣言する、
誓う言葉は重い。
言葉には質量がないのに、その重さを感じ、畏れる。
畏れの感覚はかんたんに説明がつくものではない。
そしてそれを共有することは、
人の欲望の前では
実はとても難しい。
195
落ち葉に埋もれ、鳥が蹴飛ばしてゆき
誰かに拾われ、風に吹かれて
成り立っていくもの。
196
燃えるような恋も、老いていく恋も、
ぼろぼろになる恋も、平凡な恋も、
形は違っても育つものはちゃんと育つ。
恋はかんたんに芽吹くのに、育てるのは難しい。
197
家の中の間取りは、不思議なもので身体がずっと覚えている。
幼少期に住んでいた家、改築する前の古い土間。
今はもうなくても、そこにあった声や温度とともに、身体がなにもかも覚えている。
198
道草して拾った栄養ドリンクの空き瓶に、たんぽぽを生けて母を訪ねた。
コスモス畑は美しく風情ある姿から枯れてしまって花なのか何かわからなくなるまで、一連の景色を隠さずに見せた。
シロツメクサの絨毯が広がる中にあった、色違いのレンゲソウの絨毯は皆の目を輝かせた。
大人になってもっとたくさんの種類の花を知ったはずなのに、特別な情景として思い出されるのはいつも幼い頃の記憶だ。
199
花や草や、虫や魚たちはもっともっと目線に近くて、すぐに触れるところにいて、かれらと遊んでいるだけで一日があっという間に過ぎていった。
いま、かれらはどこに行ってしまったのだろう。
手や洋服を汚さずにいる術を手に入れてしまったことが、ほんの少し寂しい。
200
子どもの頃に憎んでいた大人がいた。
時の流れは子どもだった私を大きくさせた。
そしていつも負のエネルギーに満ちていたその大人を、衰えさせ、ついには病人にしてしまった。
年をとることはすべてを解決すると思っていた私は大人になって何でも出来るようになったはずなのに、何も偉大な気持ちには、ならなかった。
病人になったその大人が、ただただ哀れだった。
偉大さは、年をとることと必ずしも因果関係にないし、年をとることは必ずしも人にエネルギーを与えるとは限らない。
201
馴染みの場所は、しばらく離れているともう二度とそこへ行けないような気持ちになるのに、近くまで来てしまえばなんだ、かんたんにここまで来れたじゃないか、とやっとわかる。いますぐにでも、昔のような気持ちになれる気がする。
202
夕方五時、大きな音でサイレンが鳴り響いた。緊急事態のようなものものしい音だが、それは近くの工場で鳴っている、従業員に向けて終業を知らせるサイレンだ。
寂しさ。幼少の頃はそれを合図に公園から帰った。
安堵。工場の従業員にとっては長い労働が終わる合図。
懐かしさ。大人になって久しぶりに聞いた音でもいま五時か、と瞬時にわかる。
半径1キロメートルの住民たちが、それぞれに抱くことが出来る、とある日常。
203
「家」の中はいつも薄暗い。入り組んだ廊下も、急な階段も、食卓でさえもなぜか皆、灯りを点けない。けれどもどんなにくまなく照らされたホテルの一室よりも、一人で住む部屋よりも、すばやく行きたいところに辿り着けるしすべてのやり方がわかる。階段で足を踏み外すこともなく、暗闇はどんなにきれいなインテリアよりも、居心地よく感じる。あまりに暗くて相手の表情も見えないが、声色や手つきだけで、私の知りたいことがわかる。誰にとってもそうではないと思うが、私の「家」の原型は暗闇の中にあるのだ。
204
美しい細部は美しい全体をつくる。
美しい全体はどこか一部だけを切り取っても、欠損したとしても、
細部として美しい。
205
細部のない全体、または全体のない細部は
魂のない、がらんどうの箱のようで
そこに世界はない。
206
「想像させること。なにもかもわからせようとしてはだめ。」
「想像すること。なにもかもわかっていると思ってはだめ。」
207
競争で勝ち負けを決めることに疲れた人々は、「共有」を目指すようになる。共有のビジョンは、誰も傷つかない、優しい世界をもたらしてくれそうにも思える。
新しい価値が生まれる気配を感じる。
一方で本当の意味での平等や自由はあり得るのだろうか、という疑問が生まれる。
私がいつも気になるのは、競争の外、共有の外、平等や自由と人が呼ぶものの外である。
208
あなたと異なるもの、あなたの外部にいるものとしてあなたと関わる。中にある考えを伝えることよりも、外にある考えを反映することを目論んでいる。
209
家の中にかかっていた、絵のことは忘れない。
とくべつ美しい訳でもなかったのに。
ときどきまばたきをする人形がいた絵。
白と紫とピンクの、淡いグラデーションのプリント。
カーテンに描かれたヨット。
無人になった家の中で、時が止まったそれらの絵は今も在る。
誰にも見られなくなった絵は、私が忘れてしまったらもう絵ではなくなってしまうのだろうか。
210
「前の家」は「新しい家」から逃れるためのシェルターだった。
時々帰り、無人になった家に空気を通す。食事をして風呂に入り布団で眠るという当然の日常を、わざわざそこでした。「新しい家」には確実に無いものを、取り戻そうとした。
いまではもう家族もその頃の記憶が曖昧なほど、以前とか以後とかいった区別もなく、ただ緩やかないま、という時間があるだけだ。
取り戻したい時間、環境、関係。
それを懐かしむとき、人は一瞬だけ自由に似たものを得る。
自由に似たものは、確実ではないけれども、
それでも本当に疲れてしまった人を、ひととき休めることは出来る。
211
薄いグレーの膜を通して見る景色は、刺激も少なくて見やすい。
そこにあったものが省かれた景色。
燦々としていたもの、刺すようなもの、輝かしいものは、省かれた。
212
孤独の結晶
寂しさの結実
ひとりごとの完結
213
あなたと、あなた以外の存在として関わる。
外部でだけ、あなたと私は出会うことができる。
どんなに親密になれたと思っていても
あなたと会える場所は、私の内部ではない。
214
大きな皮膚を持つ人の身体、その表面に小さな破片が刺さった。
ほんの数ミリ刺さっただけで、異物を感知する。
痛がりの人たち。
215
つい数週間前まで親密だったはずの他人
顔はもう思い出せない、
冷蔵庫の中にある他人からもらった瓶、賞味期限は来年の夏
つい数週間前まで嬉しかったはずのギフト、
贈り主を見失ったそれは来年の夏までに
どんな味に変化していくのだろう。
216
会わなければ遠のいていく。
伝えなければ遠のいていく。
遠のきはじめると恐ろしいくらいの加速度で
それは、
もう見えなくなる。
217
沸き立つような夏や凍えるような冬は人に闘いを強いるので
殺されるものかと踏ん張っていられる。
ふと風が涼しくなったときや甘い香りが漂い始めたとき
踏ん張りが緩んで
何もかもを諦めたいような本心に
ばったりと出会ってしまう。
218
きょうはすばらしいハレの日だ、そうしてその日だけを祝うけれど
その日を迎えられたのは良い日常が積み重ねられた結果。
日常に嘘やごまかししか無ければ、そんな日々をどれだけ積み重ねても空しいだけだ。
219
前に進むためには手元のランプほどの、ほんの少しの明るさでいいから、必要なのだ。
半歩先を明るくしないと、勇気だけでは闇に身を投げられない。
220
ふりかざすたいまつの火
闇の中を進む彼らに必要な、最小の光と熱
221
指先の感覚はほんの1ミリの段差にさえ
気づくのに
視覚はかんたんに不自然な愛想笑いに
騙される。
222
本心なんて顔にも出さず口で嘘をつき、都合で見ないふりをするのもたやすいのに、肌に触れる布のきめや、触れる手の感触や包み込む家のあたたかさ…、
その心地よさ、または居心地のわるさには嘘がつけない。
223
学校や会社、組織…、たくさんの人が集まるところには、大きな建物がある。その大きな建物は、人数に見合った大きさを備えているはずなのに、どうしてかその中で自分の居心地の良い場所を見つけるのは、難しい。
224
もしもどこにも行けなくなったら、森の中へ。
自然は何も用意してくれないが、途方もない私たちの
想像の自由を肯定してくれる。
225
「ここにいてもいい」と思うことは、いま大変に難しくなった。
人々は努力をして、いのちからがら、その場所を維持している。
226
絵画は、絵画だけは「ここにいてもいい」というメッセージを送るメディアであってほしい。
227
長い時間を一緒に過ごしてくれたなら、それだけで宝ものだ。
228
どこに行ったのかわからないページ
昨日までに確かに書いた気がするのに
まるごと記憶をなくしたみたいだ
229
夢の中で書いた言葉には、
きっとあさって出会えるでしょう。
夢の中で出会った人には、
きっと千年後にすれ違うでしょう。
夢の中で笑っていたあなたには、
きっともう会えないでしょう。
230
髪や爪のさきは死滅した細胞の尖端
私に付随する生きていない私
代謝する私
絵画は、死んだ私なのか、それとも生きている他人なのか
231
バラバラになる記憶を大量に集めて塊にすること
風で飛んでいかないように守ること
そうさせるのは、いったいなに?
232
時系列からも個人の所有からも離れた記憶の塊はこの世界のどこかで、こうしてひっそりと蓄えられているのだろうか。
233
歴史、感情、経験は数十年限りの肉体から離れたとしても、
色を失わずこうしてこの世界のどこかの、記憶の総体に
組み込まれていたらいいのに。
234
維持できる/維持できない を決めるのは私ではないけれど
維持したい/維持したくない と思うこと、選ぶことはできると
思っていていいでしょう?
235
他人を変えることや自然を変えることはできないけれど
自分を変えることやこれから進む方角を決めることは
私の責任と自由の範囲内だ。
236
選んだり、選ばなかったりする、その毎日の選択が小さなずれを生み、進む道筋を決めていく、今いる位置は、もうすでに選んだことが導いた位置、「何からもずれない」、「何も選ばない」ことはできない、歩くこと、生きることそれ自体がもう、今いる位置から、ずれていくことだから。
237
急な場面で、急に大きな愛を伝えようとしてもうまくはいかない。毎日の言葉や日の光や、食べること、眠ること、そのすべての場面に空気中の水分のように愛は漂っている。
「愛している」と言うことが愛なのではない。
毎日渇いていくものだから、毎日補えなければいつの間にか、受け取ることすらむずかしくなってしまう。
238
気持ちは維持できない/それは移りゆくものだから
維持できるもの/それは大変な努力を伴って約束や決意の形になったものだけ
239
また全体へ還る
ひとり旅を終えてみなのもとへ還る
ほんとうの最後にはきっと自分はそうすることができる
240
恒常的な精神の川で、流れるひかりをことばにして捉える