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アンカー 1

「手紙を書く人」

(六甲ミーツ・アート 芸術散歩 2016 「思い出せることのすべて」にて配布 2016)

​121〜180

121

何かに感動するとき、それをはじめて知り打ちのめされると同時にそのすばらしさをずっと前から私は知っていて、今やっとそれを思い出せたような懐かしさを感じることがある。この懐かしさはどこからやって来るのか、いつも不思議に思う。心地よい既視感。もっと根の深い記憶…人のからだに刻まれ続けてきた感動。

 

この懐かしさと、個人のある記憶の懐かしさとは似ているようで遠い気もする。

 

私が感じる懐かしさはあなたにとっても懐かしいだろうか?

 

 

 

 

 

 

122

ずっと遠くを見ていると、遠くにいる私が見つめ返してくれるような、

一番近かったはずの私が一番遠くなるような、

今いる場所が本当は、あらゆるものから一番遠い場所だったことに気づいてしまうような、

むこうが近くになって、こちらが遠くになる、自分の存在を含めて近しいもの全てが余白になる。

 

 

 

 

 

 

 

 

123

数えきれないことを透過して、見る、ということをしている。

 

 

 

 

 

 

124

「こんな夢を見よう」と意図することはできないように、私には、「こんな絵を描こう」と意図することはできません。夢の中に迷い込んだ以上、その理に従って何かを描くしかないのです。そこに現れるのは、生活の中で記憶したあらゆるものの表情や意味、そして絵の中で妙に生々しく感じられる、自分の身体と孤独。完全な物質にも、意味にもなりきれない未熟さに、絵の魅力を感じます。

絵は人の想像力によって輝くものです。

夢の続きを見てください。

 

 

 

 

 

 

 

 

125

目に見えるものは嘘をつくし、

耳に聞こえるものは、自分の中の反響音だ。

だから人は見えないものを見ようとして、

聞こえないことを言葉でつかまえようとする。

 

 

 

 

 

126

なんでいままで私は、

君の弱さを受け入れられなかったのだろうか。

 

 

 

 

 

こんなときは、あの人の言葉を思い出す。

「なにもできない時間も、大切なのよ。」

 

 

 

 

 

 

 

127

「この広い景色の中のたったこれだけ」が、どれくらい価値があるか、

どれほどの間、それを見る人をただぼんやりと佇ませることができるのか。

 

 

 

 

 

128

家の大きな窓とは反対側の壁の窓を、ほんの数センチ開けてみる。

ほんの少し、空気が動く。

ほんの少しでもわかるものだな。

風が通らない家では、息が詰まってしまう。

ほんの少しの隙間が、大切な役目をしている。

その隙間にこだわってみる。

 

129

どうにも気分の優れない夜ふとベランダに植えていたハーブが気になって調べてみた。それは遠い異国の地にゆかりのある知人が人生で最後になるかもしれないと言って開いた、実に盛大な宴の場で名前も知らない人が無償で配っていた謎の種を植えたものだった。それは、遠い異国の地で神聖な植物として5000年も前から大切にされてきたものだった。それを食べると、身体の中から頭の先まで、すっとなにかが抜けていったような気がした。

 

運命や宿命というものがあるのかはわからないけれど、

どうしても避けられないものは人生の中にいくつかあるのだ。

毎日おなかがすくことや、毎月ある期間中はどん底の気分になること、毎年知っている誰かがいなくなってしまうこと。

それを敵だと思うな、おのれの身体と心を整えて、それと折り合いをつけていくのだ、

そう言われたような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

130

風化した記憶ではなくて、血の通った記憶を、取り戻すために。

 

 

 

 

 

131

肉でも骨でもなく、血液のような、抽象的なもの…

交通、流動を司るもの…

物事に生気を与えるもの…

よみがえらせるもの…

 

 

 

 

 

 

132

きえていくなにか

きえることのないなにか

きえていくにじのゆくえ

 

はしりがき、匿名のなにか…

 

 

 

133

母は語る、

 

 

あの頃は実感があったわ。

実感?

何かあっても、顔を見てあははって笑い合えば、

それで済んでた。今は名前も知らない人から、知らないところで叩かれて。

なんで知らない人にここまで言われないと

だめなの?

という感じ。

 

 

 

 

 

 

 

134

これはもしかして、私のために書かれているのかも

しれない。

と、思うくらいに傷ついている人に向けて

書く、

手紙。

 

 

 

 

 

135

もう、なにげない日常の中に見出せるものしか、

美しく見えない

 

 

 

 

思い出すことにはいつも色がついている

記憶はモノクロでもセピアでもない

もう一度体験する

色にすることで、もう一度思い出せる

 

 

 

 

 

 

 

136

考えに考えて、それでもわからないときは、

眠ればいい。

眠っている間に、あなたはたくさんの他者に出会い、たくさんの場所に行き、たくさんの情報を水のように飲むことができる。

目が覚めたとき、まるで別の世界に降りたように思うでしょう?

 

 

 

 

 

137

もう埋まってしまったものを掘り出していくこと、

まだここにないものを、空間を埋めて増やしていくこと、

 

建てること、積み上げることが発掘することと同じになっていく。

 

 

(ニアミスをする、古い歴史に、すでに語られたことに、

 ぎりぎりまで近い、その背中に、肉薄するように)

 

 

 

 

 

 

 

138

経験したことしか語りえないように、

経験したことしか色にならない。

 

 

 

 

 

 

139

その時が来るのを、じっと待つ。

素材を集めて、断片を確かめて、

それらがある光景になる時を、

ある物語が生まれるのを、待つ。

 

 

 

 

 

140

ここはどこだろう。

水が流れ、樹々が繁り、空は霞んでいる…。

 

見たこともないその深遠な光景を、なぜ思い出すことができるのだろうか。

 

「日常の中にある悠久の世界」

 

 

 

 

 

141

墨を流していく

砂を敷いていく

水を眺めてみる

 

そこに大気があり、大海があるという心地よい矛盾

 

矛盾のないはっきりしすぎた世界なんて、

肌に合わないでしょう?

 

 

 

 

 

 

142

多重人格の心、

複眼の視線、

曖昧な輪郭。

 

私の中にある捉えられない私を、

そのまま受け入れる。

 

 

 

 

 

143

何重にも膨れて、放射状に残像を残す、

あやふやなことがらたち。

 

どこにも確かなものがないとしたら、

どうやってそれと関係を結ぶのか。

 

(手元のメモに「愛すること」と書かれている、それは見ようとすること、だろうか)

 

 

 

 

 

 

144

だから絵画はどこまでも進行形で、

走り書きの、

誰かの見た色とだけ、

伝えられて、

残される色彩。

 

 

 

 

 

 

 

 

145

樹の中の繊維をほどいて、つぶして、

うすくしきつめて、水を入れて、

おひさまの光に当てて、乾かして、

そのようにしてつくられた、この白く果てのない世界。

 

 

 

 

 

 

 

146

考えたらすべてのことがわかる訳ではないんだ。

明日の朝の光を、自分はまだ知らないのだから。

 

 

 

 

 

 

147

何も考えないでいる、ことが難しくなってきた。

昔の自分は何も考えていなかったな…と、思い返しても、

どうやって何も考えないでいられたのか、不思議なものだ、

こうしてまた、それを考えている自分がいる。

 

 

 

 

148

滝の音が聞こえる

水の流れはいつも側にある

  一番近いところで流れている水の音を聞くには

   耳に貝殻を当ててみるといいそうだ

 

 

 

 

 近すぎて聞こえない、私の中の水流

 

 

 

 

 

 

149

それがどんなにかすかな、小さなことでも、

部分のふるまいが、全体に作用する…

 

 

 

ふと思ったこと、見なかったことにしたこと、

今日通った道、選ばなかった服、

食べたもの、口にした水、

見た色、聞かなかった言葉。

 

 

 

150

傷口は興奮から覚めるとだんだん痛くなってきた。

酔っぱらいとかものすごく怒っている人は痛みを感じなくなるというが、どうやら本当らしい。

水が当たるだけで痛かった傷口も一週間もすれば新しい柔らかい皮膚が再生していた。

人の心は平気で一週間も一ヶ月も同じ傷を痛がっていられるのに、身体は気が早いようで、さっさと平常にもどるつもりのようだ。

新しい皮膚でこの雑多な世界に再び触れてみる。

なにも痛みは感じない。

痛がりの心は雑多な外界をおそれる。

本当は内側にもあらゆる雑多なものが住んでいていつもそれを外界と交換し合っている。

混じりけのないものなんて、

一番おそろしいものだろう。

 

 

 

 

 

 

 

151

今がどんなに寂しくても、

どこにもいけなくても、

ひとりでも、

記憶の中にある きれいな思い出の景色は、

何度でもやってきて、勇気づけてくれる。

 

 

 

 

 

152

悪い空気は身体や思考を蝕んでいくのに

音もないし色もなく目にも見えない

嗅覚はだんだんと鈍っていくから

はじめのサインを見逃すと

それが悪い空気だということすらわからなくなる

いい空気を求めることを

忘れないで

153

この手紙がいまはまだ届かなくても、いいんだ。

154

昨日の夜の出来事は、細かな質感まで捉えられた全方向型の映像のように、あるいはドラマのストーリーのように、没入できるほど鮮やかに思い出せるのに、例えば幼稚園の頃に見た砂場や芋畑やそこで見た場面は、暗闇の中に、それは小さなフレームで、切り取られた写真のように浮かび上がっているだけだ。

当時の「記憶技術」が未熟だったからか、身体が小さくて見える範囲がせまかったのか、現在から遠すぎるのか、わからない。

そして一体何のために砂場や芋畑の記憶がこうして保持されているのかも、わからない。

ただとりとめもない記憶を保持することと、それにまつわる今はもうない感情(言いそびれた言葉)を意地でも手放さないことを、随分と昔から私は努力して続けていると思う。

155

ひとくちに記憶と言ってもそれぞれにかたちや色合いは異なっている。

 

穏やかな日々の繰り返しが何千枚と重なったような、記憶。

何度でも体験し直せるほど、ストーリーがよく出来た記憶。

鮮血のような記憶。

光のような記憶。

過去なのか、夢だったのか作り話なのかわからなくなった記憶。

映像にも音にもならないくらいに断片化された記憶。

 

記憶の種類が多様であるということはそれを思い出すこと自体の在り方も多様であるということ。

 

数多の他人、自分、生き物、幽霊と再会するように、人は思い出をふりかえる。

 

 

 

 

 

 

156

庭師にだけ見える、植物たちの相関図

料理人にだけ聞こえる、夏野菜のはりさけそうな生命力

詩人にだけうたえる、風と風の間を縫う言の葉

すべては知ることができない、この世界の相貌

 

 

 

 

 

 

 

157

庭を歩いてみる、白い紙の上や、

パソコンの液晶の中にはないざらざらとした

感触、

人に踏まれ雨に打たれ、

日に晒されるものたち、

あなたたちと私は、息を交えている。

 

 

158

孤独をいびつなやり方で紛らわせている人を

見て、

本当ならそういうことは、何の見返りも求めず一緒にいてくれる、家族とかそういう人とするようなことだ、

そう思ってから、そうしたら自分にはいま「そういう人」がいるか、いないのではないだろうかと不安にさいなまれた。

 

けっきょく孤独でない人なんていないのに、なぜ

自分の孤独だけがこんなにも氷のように冷たく感じられるのか…、

 

この安心をめぐる追いかけっこは

死ぬまで終わらない。

確かなのは、何の見返りも求めず一緒にいてくれる家族、というものの記憶があるから、不安の先に安心があって、安心の先にはまた孤独があると信じていられるのだ、

ということだ。

 

 

 

 

 

 

 

159

何の見返りも求めずに、一緒にいてくれることの対価を

自分なりにあれこれと考えて用意しようとするけれど、

どうもそういうことではないらしい。

 

 

 

 

 

 

 

160

窓を二カ所開けると、部屋の中に風がよく通るように、

心もただ表だけを開けていても、風は通らない。

心の裏の、本当は開けるのをためらっていた窓を開けてみる。

気持ちいい風が、通り抜けていく。

 

 

 

 

 

 

161

なにもしないで窓の外を眺める時間。

なにかをしなければ、から解放される時間。

樹々の振動を、車のライトが流れていく様子を、行く人を、

ただ見ているだけの時間。

 

 

 

 

 

 

162

ふくらはぎは第二の心臓、という言葉を聞いたことがあるけれど、

ふくらはぎはもっと直接的に、人の決断に関わっていると思う。

筋肉に血液に、一歩を踏み出すための重要な粒子が散りばめられていて、歩くことでそれを獲得するのだ。

 

 

 

 

 

 

 

163

坂道を歩いて登ること、それはこの地でのルーティンで、おまじないやトレーニングで、自分ひとりではどうにも進めないときに頼みにできる方法なのだ。

歩ききった坂の先に見える景色は美しいと、この地に住んでいる人々は教わらなくても知っている。

 

 

 

 

 

 

164

なんとなく元気がないときに、タイミングよく便りをくれる人がいる。

 

虫の知らせとでもいうのか。

人は、本当に物事がだめになる前に、

少しのアクションを起こせる能力を持っている。

 

 

 

 

 

 

 

165

元気がないとき、独りだと思うとき、必ず便りは来る。

もう、来ているのかもしれないし、あるいは手紙の形をしていないかもしれない。

ずっと前に手に取ったチラシかもしれないし、自分で植えた植物かもしれないし、去年買った上等のコートかもしれない。

 

孤独を見つめるのを一瞬やめて、

周りを丁寧に眺める。

 

 

 

 

 

166

夏の暑さを感じる。

夏の日に汗だくになって歩き、蟬の声を聞き、朝夕に庭の草木に水を上げる。そういうことも面倒がらずにちゃんとしておく。

大人になって、いつかおじいさんやおばあさんになっても、第何十回目の夏を大切にする。

 

 

 

 

 

 

 

167

死者の霊が現世に戻って来る日のこと。

それは過去をふりかえるのとは少し違って、平行していま存在する死者の世界に、思いを馳せる日と言えるだろう。

 

 

 

 

168

死者、自然、芸術、人智を超えるもの。

霊と呼ばれる存在と交信するとき、私たちはいともたやすく目に見えない平行するたくさんの世界のことに触れ、

信じることができる。

 

 

あとからどうやったのかを理屈で考えると、

そのたくさんの世界に繋がる回路は見えなくなってしまう。

 

 

 

 

 

169

ただここへ来て話をするだけでもいいし

話さなくても座っているだけでいい

座らなくても側にいるだけでいいし

側へ近づけなければ遠くから見つめていてもいい

見えなければその名前を口ずさむだけでもいいし

声にならなければ書きつけておけばいい

書かれた言葉を見てそれがなんだったか思い出せなくても

思い出せない言葉としてあなたとともに在ればそれでいい

 

 

 

 

 

 

 

 

170

個人が表現したいことをする、言いたいことを言う

それだけではなくて、

それを受け止める、聞く、愛する、嫌う

別の個人との出会いがほしい

 

 

 

 

 

 

 

171

誰かから敬われること、愛されること、

必要とされること

それなしに自分を誇りになんて思え、なんて。

 

 

 

 

 

 

 

172

ゆるいつながりは、決してひ弱なつながりではない。

身体の筋組織のような、蜘蛛の糸のような

しなやかできめの細かいライン。

 

 

 

 

173

植物の成長を眺めていると、

今だけはこの世にたったひとりでも寂しくない。

そんな気持ちになれる。

 

 

 

 

174

芽の頃はあんなに弱々しかったのに、あっという間にツルが伸び葉っぱは大きく、実は赤くなっていった。

植物の成長とやがて来る死はわかりやすく、あっけらかんとしている。今は元気だとか衰えてきたとか、そんな様子は別の生き物である私の目にも明らかである。

なのにどうして私と同じ生き物のはずの他人のことは、今は元気だとかもう死にそうだとか完璧にわかってあげられないのだろう。元気がないと言葉で言われたとしても、どうしてこの手にある水をあげることにいちいち、ためらいを感じるのだろう。この水があなたを本当に助けられるだろうかとどうして疑ってしまうのだろう。

 

 

 

 

 

 

175

誰かに見ていてもらえたから、

ここにいる勇気を持つことができた。

 

 

176

刻々と、

 

刻一刻と、経過した一粒の時間

 

 

これまでに集めた、手の中にある何億粒の時間

 

 

 

もう指の間からこぼれ落ちてしまった、何兆粒の時間

 

 

 

 

177

いまは着る気分になれないきれいなスカートも

まだ読めない小説も

何ヶ月か先の約束も

庭に植えた種も

いま必要でないこれらのものは、みんな手紙と同じなのだ。

つまりそれは、本当に必要であるはずのものを、不意に捨ててしまいたくなってしまう気分が訪れたときに、過去から送られてくる、明るい匂いのする手紙なのだ。

 

 

 

 

178

たくさんの知らない人の中にいると

 

聞いたことのない声がたくさん聞こえてくる

 

ひとりの世界に響いていた私の声は遠くなって

 

自分の声ばかり聞いていて飽き飽きしていた私の

耳が

 

今度は生き生きと他の人の声を探し始める

 

 

 

 

 

 

179

朝目が覚めると名画が側にあった。

秋に展覧会が催される、北方の古い画家が描いた女性の絵だ。

意思があるが、冷たく、不可思議な表情。

すべて知っている顔

何も知らない顔

男性が女性の表情に見る二極の不可思議、が描かれていた。

 

 

 

 

 

 

180

自室の窓の矩形に切り取られた近くの林。

日の光の加減でそれがふと懐かしい祖父母の家の玄関から見る山の緑に見えた。

その時だけは、その窓から見る緑はものすごい距離の先にある異世界のようだった。

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