top of page

 

 

 

 

 

クリア

 

 

 

 山の上にはお寺があって、歪んだ木の床と古い襖があった。私は、光るその襖を見ていた。表面に細かな傷がわざとつけられていて、木漏れ日と一緒に光を映し乱していた。その景色を見るとき、私は、どの時間にも属さずにただ居るだけだった。

 

 帰り道はロープウェイで山を降りた。こんな風に、ただロープウェイの時刻だけを気にしていればよい日というのは、貴重だった。昔はどこへでも一人で行って、しかも寂しくなかったのに、今はもう一人でいると声にならない自分の金切り声が頭の中で鳴り響く。今日みたいに、静けさの中で鳥の鳴き声を聞くような日は、本当にこの先再びあるのだろうか。ゆっくりと近づくロープウェイの降り場、その緩慢さに私は、すべてを捨ててでもすがりたくなってしまった。

 

 私はこの頃、一人でいられなくなってしまっている。

 

 

 仕事は特につまらなくも面白くもない。この地域にしては大きめの美術館の中で、ショップ店員をしたりインフォメーションデスクに座ったりしている。これといってイレギュラーなことが起こらないので、勤続2年にして仕事上での悩みや目標をすべてクリアしてしまった。私にとってクリアという言葉は、透明や明瞭ではなくて、振り出しとか忘却とか、そういう感じの言葉だ。

 目の前を学芸員が横切る。この世で遠い存在のひとつである。あまり興味が持てないのでこれ以上詳しくなれないのだが(興味が持てない以上は目標にもならないし、わからないことについて省みたことがなかった、このときは)、どうも彼らがこの建物の中にいろんな価値を囲い込もうとしているらしい。私にとって、価値のことについて考えるのは大変な仕事だ。価値は、物事の重要さを測る唯一の尺度のようだが、不変ではない。かたちのない定規を使って、彼らは一体何を測っているのだろうか。あまりにもわからないので、この美術館の展示室には未だに足を踏み入れていない。

 

 

 「朝絵は名前に絵、がついているからきっと絵のことはわかるはずだよ。そんなに難しく考えなくたって」

 三河は軽い気持ちでそう言った。私と彼は大学時代に出会って、そのままずっと付き合っている。彼は美術大学を出ていて、今でも絵を描いているらしいが、私はあまり彼の絵は好きではないので見に行っていない。一度彼の展覧会を見に行ったとき、感想を求められた私は何も言うことが出来ず、その場でうずくまってしまった。以来、展覧会を見に来るようには無理に誘われなくなった。でも私は、自分に絵を見る感性が無いわけではないと思っている。そのとき私は展覧会の会場に入ってすぐに、彼は実は私の感想など求めていないこと、彼の心の底からの不安、厭世、それと相反する期待に気がついた。見てほしい、見ないでほしい、そういう気持ちの悪いものを感じた。

 彼はいい人だ。でもいい人をする代わりに、他人に自分の弱さや矛盾を許してほしいと思っているのが透けて見えるようで、悲しくなる。私の中にあるグレーの塊を映し出す鏡のような人だ。そして、私に延々と孤独を与え続ける人。

 「絵っていうのは、わかるって思えるようなものなの?」

 私にはそれが本当に疑問だったので、そう尋ねると、

 「もちろん、たくさん絵を見ればだんだんと良し悪しがわかってくるよ。君のところの美術館でどんなすごい展覧会がされているか、君は全然知らないだろう。まずは本物を見ることが大事なんだ。本物を外国から持ってくるにはお金が要る。そのお金を回収するために、君が売ってるものみたいなのが企画されたり、派手なフライヤーを作ったり、いろいろと頑張っているわけだ。そして、その収益の中から君のお給料が支払われる」

 と途中から話をそらされてしまった。でももう私には彼に聞きたいことなんてみじんも無かったので、それ以上話をするのをやめた。

 

 

 仕事帰りにふと美術館の裏庭の上を見上げた。ガラスでできた、彫刻のようなものが見える。ゆらゆらと揺れるガラスの破片。それは今の時期の展示物なのか、窓が壊れているのか、なにかよくわからなかったけれど、ここに来て初めて私は裏庭の上に月が見えて、今日のような晴れた日ははっきりと庭の輪郭が見えることを知った。ひとつ、なにかが見えるようになるということは、これまでの思い込みから少し解放されることだと、そのとき急に思ったのだ。

 その夜三河の家に寄って、1時間だけ一緒に寝て、用事があるからと言って帰った。

 

 部屋に一人で帰ってきて、簡単な晩ご飯を作って食べ、洗濯物を取り込み畳んで仕舞った。

 非日常というものがあって、それに人々はお金をつぎ込むくらい価値を感じているようだけれど、絵もそういうものなのだろうか? だったら私がほしいものは絵ではないと思う。

 生まれてからの29年間、私がずっと飢えているのは日常だ。それは人生のどこかの時期では確かにあったもの、でも今は手元に無いもの、そういうすべてのあたたかいなにか。それがあたたかいのであれば、本物でも偽物でもなんだっていい。日々のルーティンは何一つ狂わずに進行していく。それなのに一人の部屋でぼうっとしているとき、頭の中が歪んでいくような心地さえする。整頓された部屋で、ゆっくりとお茶を淹れる瞬間の一枚向こう側で、破滅的な世界が広がっている。そちらの世界の方が、本当なんじゃないだろうか。そう思うくらいに、整然として見えるこの毎日は私の感情とかけ離れている。

 

 

 

 

 昔からの気の合う女友達、塔子と二人でこの田舎町に行こうと、2週間以上前から話していた。それなのに当日の朝になって、急に彼氏の親と会うことになったとか、なんとか言って断られてしまった。孤独で破滅的な平行世界を生きる私にとっては、三河以外の人とどこかへ行くことは最高の気晴らしで、万難を排して挑んだ今日この休日であったので、がっかりなどというものではなかった。あまりにも私が落ち込むので彼女もあれこれと代替案を出してくれたが、どちらにしても今日の不在は仕方ないことのようだった。彼女に予定されている今後のライフイベント、それらが私との時間を奪うのか。そんな風に自棄になって妬いてみたが、どうやっても敵わないものとは戦いたくなかった。それはそうと今日は不思議と、この「田舎町に行く」ということを何より実現させなくてはという気持ちになって、気がついたら一人で電車に乗っていたのだ。

 

 

 電車を降りると、ひなびた駅独特の土の香りがした。まだこの辺りには田んぼが残っている。雑誌の観光特集に載っていることも多い町だが、駅前には人気がなかった。「ようこそ」と書かれた、錆びた大きな地図看板を見て、私は瞬時に今日行くべき場所がわかった。今日は嗅覚が冴えている気がする。そんな風に思ったのは久しぶりだ。私はかつて城が建っていた山を目指した。バスを少し待ってみたが、まるで来る気配が無いので、歩いて行った。

 町を歩いている間、私は不思議な感覚に襲われた。この町はこんなに小さくなかったはずだという、既視感と違和感が混ざった感覚だ。この町の、昔の姿を知っているような気分。初めて来た場所に、親近感を持つことはそうめずらしいことではないだろう。しかし自分は、なにか忘れていることがあるのではないだろうか。迷いなく進む自分の足を見て考えた。けれども私には、そもそも思い出として覚えていることの方が少なかった。

 

 小さい頃から、父親の転勤で各地を転々とした。その上母親が旅行好きなもので、たくさんの名所に連れて行ってもらった。転居は寂しいもので旅行は楽しいもの、という区別もだんだんとなくなってしまって、私の目の構造は、車窓から流れゆく景色を見るような、そういう風にしかこの毎日を捉えられないものになってしまった。

 それでも全体として、私のこれまでの歩みは楽しく充実したものであったはずだった。両親に愛され、転居のたびに都会も田舎も同じように愛し、つつがない日々を過ごしてきた。だから今、なぜこんなにも日常への飢えを感じているのか、何にこんなにもいらついているのか、さっぱり見当がつかない。

 

 

 山にはロープウェイがかかっていた。往復だとそれなりの値段だ。そんなことを気にするような年齢ではないのに、どうせなら片道歩く方が得なのではないか、そう思ってしまって往路を歩くことにした。若い頃は貧乏旅行もしたし、足腰には自信があったのだが、窓口に座っていることの多いこの頃はすっかり足が弱ってしまっている。気づいたときにはもう引き返すのも中途半端な山の中。自分の息と心臓の鼓動が聞こえる。私は今生きているのだなと思う。当たり前に苦しい。ただそれだけのことだった。斜面に備えられたぼろぼろのベンチに腰掛けた。

 「あなたは、忘れることですべての傷を受けることを拒んだのよ」

 目の前に、13歳くらいの女の子が立っていて、私にそう言った。にわかには信じられなかったが、私は今話しかけられたのだ、この山の中で。

 女の子は異常に透き通った目をしていて、そしてなにも間違ったことは言っていなかった。

 「私のことも忘れているでしょう。それでいいの。そのおかげで私はここにいられる。私みたいな人は、あなたみたいな人の半分の早さでしか成長できない。でも、私はそれも楽しいと思う」

 楽しいと言う彼女が、反射的にうらやましくなった。そして彼女は私が忘れているおかげで存在しているのなら、私は思い出してあげない方がいいと思った。こういう常識が通用しないような状況でも、わからないけれどこの場にとって重要なルールだけは守る。そういう勘だけは昔から鋭かった。彼女は明らかに異界の人だった。

 「

 

 

 

 

 

 目が覚めると、私は光るようなグレーの中にいた。目が捉えられる範囲で、そこは薄く光っていると思えた。地平と空が混ざるように在り、それ以外は何もない。そのグレーに見惚れていると、隣にいた彼女が同じように目を見開いていた。

 「こういうものが、あなたは見たかったの。それは本当に?」

 彼女は驚いていた。私は、あまりにもきれいな光景だと思って、驚くことを忘れていた。これは私が見たいと思った光景なのだろうか。彼女こそこの異世界の住人らしい雰囲気なのに。

 「これが、あなたの持っている風景。あなたが、何かを拒絶するときに夢見る風景。それはあなたの中にだけあるように見えて、実は私にも、あなたの両親や友人や他人にも、繋がっている風景」

 彼女の説明は、わかるような、わからないような説明だが、確かに私には平行世界を夢見たり、恐れたりする癖がある。一人の部屋でぼうっとしていたときに見えそうになっていたあの世界は、思っていたよりもフラットで、破滅的ではなくむしろ創造性が育まれそうな場所だった。

 「これが私の持っている風景だとしたら、素直に感動してしまった。こんな悠長に感動していていいのかわからないけど。すごく素敵な旅行をしているみたい。あなたが連れてきてくれたの? あなたはこの世界の住人? 名前はあるの? 私は朝絵」

 「私はこの世界には住んでいない。私は、あなたに付随しているだけ。さっきも言った通り、ここはあなたの風景。あなたが朝絵という名前なら、きっと私は昼とか夜とかそういう名前だと思う」

 自分の名前がわからないというより、どうでもよさそうな口ぶりだった。だったら夜ちゃんでいいの、と聞くとまた少しびっくりした顔をした。彼女は大きい目を見開いてよく驚く。

 「それはそれでいいけれど、朝絵はこの風景をきれいだと思っているのね。こんなに寂しい風景を。朝絵は、疲れすぎていたからここに来た。だからここでゆっくり、今の自分に必要なことをすればいいのよ。寂しいと思えば、あなたに必要なものや景色や人を、ここに置いてもいい。忘れたいと思えば、それをなくしてもいい。これまで朝絵がいた世界は、朝絵中心には廻らなかったけれど、ここはあなたのためにある限りない世界なの」

 わかりやすく言うと心の中みたいなものだろうか。昔読んだ、臨床心理士の人が書いた本の中に出てきた、箱庭の中に世界を作る箱庭療法を思い出した。気がつくと私はいつも家で座っている椅子に座り、テーブルの上で頬杖をついていた。箱庭療法は砂が入った箱庭に、自分の手で選んだおもちゃを置いていく手法だったように思うが、ここで起こっている変化はそれよりも劇的で、そして瞬間的にここでの日常へとすり替わっていくようだ。夜は、ここで過ごすことが私を癒すように言っているが、ただ脈絡のない夢を見ているだけのようにも思える。箱庭のように範囲が限られている訳ではなく、本当に限りないように見えることが、そう思わせるのだろう。振り返るといつものベッドとソファがあった。ベッドとソファ、テーブル、椅子の周りは、まだグレーに淡く光るままだった。少し眠たくなってくると辺りも薄暗くなったように感じられ、受け入れることにエネルギーを使い果たしたので今は眠ることにした。

 

 

 夢の中で(今まさに夢の中にいるようなのに、さらに夢を見るとは)、古い学校に来ていた。柱や階段が古い木で出来ていた。私は自転車で来たようだが、どこに停めたのかわからなくなってしまった。廊下を駆け、ドアを開け、階段を上り下りして探したが、自転車は見つからなかった。知らない生徒たちが理科の実験をしているが、走り回る私には気づきもしない。三河が現れて、一緒に自転車を探してくれたが、たくさんの小部屋を通るうちにはぐれてしまった。私はどこにも行けなくなってしまった。けれどもこれは夢だから、耐えていれば目は覚める——

 

 

 私には目の前のことが受け入れられなくなると、猛烈に眠くなってしまう癖がある。そして眠ることで目の前のことから少しでも遠い世界に行けるはず、という期待がある。そうして旅立った夢の世界はさらに不安定な設定で、今度は早く目が覚めてほしいと思い始める。目が覚めたら、さっきよりはましな世界になっているはずだと、根拠もなく信じている。

 目が覚めれば元の世界に戻っているだろう、という私の思惑は外れてしまった。中途半端な部屋と、融けたようなグレーの空間が昨日と変わらずここに在った。10メートルくらい向こうに、夜がグレーに埋もれるようにして眠っていた。そんなところにいたら寒いだろう、と思って駆け寄ろうとして、ふと足元のグレーの地面に手を当てた。温かくも冷たくもなく、柔らかくも固くもなく、まったく感触がなかった。足がしびれて感覚がなくなってしまったとき、触れたものがわからなくなることはあるけれど、この感触のなさは異様だった。驚いて自分の髪や肌や服を触ってみると、そこにはいつも通りの感触があった。昨日聞いた話から考えると、この現象にも私の心の何かが反映されているということだろうか。グレーの地面に触れて、何かの感触というものを一生懸命思い出そうとした。柔らかいベルベット生地、冷たいコンクリートの壁、お茶碗のつるつるした感じ、すべすべの木製品、ざらざらした砂利の敷かれた土のままの道。そうやって思い出そうとした感触のすべてに、それに触れ慣れ親しんだ記憶が思い出された。優しさや痛みや、生活の匂いだ。今ではうんと遠くなってしまった私の日常の中に、あったけれど気づけなくなっていた感触。今触れている地面にはないと思うと、とたんに凄まじい寂しさに襲われた。ベルベットの洋服を持っていて、この光る地面になんとなく似ているなあと無理やり思い込んでみると、気のせいかもしれないが少しだけ手に柔らかい感触が返ってきた。地面の感触を想像して獲得するという珍しい体験をした。

 

 「ねえ夜、私はもしかして、元の世界で死んでしまったのかな」

 ぽつりと零れた言葉は、思っていたより不安げな感じになった。朝起きたときには気づかなかったが、今日はキッチンも増えていて(?)買ってあった牛乳で温かいカフェオレを作ることができた。夜には、ソファを好きに使っていいと言った。グレーの床は特に温かくも冷たくもないとはいえ、そんなところで寝るのは何かすごくおかしい感じがする。それはこんな状況なりの、秩序の感覚だろうか。

 「突然何かの拍子に死んでしまって、それが納得できない私の魂が、このおかしな世界でさまよっているのかな。そう考えたら筋が通る気がして。ここが現世とあの世の間にある場所だとしたら、すごくそれっぽいし」

  だんだんと弱気になってきているのが自分でもわかる。さっきの地面の体験は恐ろしかった。取り返しのつかないことが起こって、何かを失ってしまったのではないかと思った。ここは臨死体験をした人が語る三途の川や、あの世の光景によく似ている気もする。

 「朝絵は死んでいないよ。だって、今カフェオレを飲んで、甘くて温かくておいしいと感じるでしょう。単純なことだけれど、死んだらそれはわからなくなるよ。朝絵は今ここで生きている。ここで何をしていこうかということしか考える余地はない訳だけど…。朝絵は、どんなことがしたい? どんな人に会いたい? それをゆっくり丁寧に考えていくと、おかしな世界はきっと朝絵が生きたいと思える世界になっていくはず。だって、今日はカフェオレを飲むことができたのよ」

 夜は妙に前向きに考えているようだ。相変わらずどういう仕組みなのかわからないが、とりあえずは臨死体験をしているというよりは、無人島に漂着したくらいの感じで捉えていたらいいのか。無人島にもしも漂着したら、生真面目な人ならきちんと日数を毎日数え、おおよその島の位置を推測し、目を凝らして近くの船や飛行機を探して助けを呼ぶだろう。あるいは島の生物を狩り、野生に溶け込んでいくか、生きた証を残すために自伝を書くか壁画を描くか、思い切ったことを成し得る人もいるだろう。私だったら、どれも中途半端にできそうな範囲でしてみて、あとは生きられるだけ生きてみるだけかもしれない。

 そして夜と一緒なら、何とかなる気がする。彼女は悲しいことも辛いことも、とことん受け入れてきたような容量の大きさを感じさせる人だ。

 

 玄関のドアを開けると、やはり辺りはグレーのままだったが、部屋の中は殆ど完全に記憶通りに再現されつつあった。それどころか、キッチンの物置から大学生の頃に買ったまま忘れ去られていた数々の便利グッズを発見することが出来た。そんなことはすっかり忘れていたのに、初めての一人暮らしが嬉しくていろいろと揃えた、あの瑞々しい感情が蘇ってきた。何かを思い出す、ということがこんなにも貴重だと思ったことは、これまでの人生でそうなかっただろう。気がつくと私は料理を始めていた。本当に自然に、冷蔵庫から食材を出して片っ端から切って漬けて和えて焼いていく。さっきまで私は死んだのかもしれないとめそめそしていたのに、もうそれはどうでもよくて、目の前で料理が手品のように出来上がっていくことに夢中になった。こういう切り替えの早さというか、あっけなさは多分私の性来のもので、多分美徳だ。夜はソファの背もたれから顔を出して、こちらを窺っている。

 「ねえ朝絵は、誰かから料理を教わったの?」

 「教わったというほどではないけれど、学生の頃に少しだけ寿司屋でアルバイトをしていて、私はホールスタッフだったからお客さんに出すようなものは作ってないけど、バイトの子が順番で自分たち用のまかないを作っていたから、そこでちょっと教えてもらったくらいかな。まあ適当に作ったって、入る具が寿司用の魚とか伊勢海老とかだから何でもおいしいよね、カレーでもあら汁でも。そこで板前さんを見て、まずいものを作らないためにはコツがあって、そもそもの素材の鮮度とか、時間とか調合とかのバランスを考えること、それだけで、独創性はなくともおいしいものが出来るんだなと思ったなあ。実家にいた頃は全然料理に興味なかったけど」

 買い揃えた便利グッズの中には魚の鱗を取る器具まであった。働き始めてからは魚なんて切り身ですら殆ど買わなくなっていたのに。ただ目に入ってこなかっただけで、私が毎日神経をすり減らし退屈なルーティンをこなしていた傍らでずっと、魚の鱗をとる器具は再び使われる日を待ってここにあったのだ。そしておいしくて美しい魚たちは広い海を、群れをなして泳いでいたのだ。ずっと。

 あの頃、料理は私が手に入れた一つの表現手段だった。こういうものが好きだと、はっきりと言えるものがなかった私が、料理でははっきりと方向性を決めていけることに驚き、夢中だった。物事の価値や自分の価値などわからなくても、目の前に出来上がった料理がおいしいかまずいかは一口でわかる。自分で作り自分で食べることが、私を支えていた。ものすごく具体的な事柄を通して、抽象的な事柄を考えるための一種のセレモニーだった。

 「ねえ朝絵は、お母さんの作った料理は好きだったの?」

 「別に好きでも嫌いでもなかったかな…。出来合いのものとか、冷凍食品が多かったし。食べさせてくれたことには感謝しているけど、料理に対する研究は断然私の方が深いと思う」

 夜のお母さんは、と聞こうとしたが、なんとなくはばかられた。夜の生きてきた人生と私の人生は違う点が多い気がした。彼女は私のためらいを気にしないかのように、私はいろんな人からもらった食べ物で生きてきたの、と何だかあまり普通でないことを言った。しかしそこに不幸の翳りはなく、私が母に感謝するのと同じ程度に、いろんな人に感謝しているようだった。

 

 朝はカフェオレ、遅いブランチにハムとチーズのホットサンドと刻んだゆで卵がたっぷり入ったポテトサラダ、昼ごはんはちょっと辛口の、えびが入ったシーフードカレー、その後、明日以降に食べるために人参のピクルスを作って、おやつにはホットケーキミックス粉でサーターアンダギー風の揚げ菓子を作り、食べて、夜はこんなにおいしいお菓子を食べたことがないと言ってはしゃいで、晩ごはんは和食にしようかなと思って親子丼を作りかけたところ最後に乗せる三つ葉がなく、ねぎならあったのだけれど今日は三つ葉を諦められず、部屋着のまま近所の八百屋さんに三つ葉を買いに行き、炊きたてのご飯で今日食べたいと思った理想の親子丼を作った。丸一日料理だけをして、夜は丸一日食べてばかりだった。若者の食欲は見ていて惚れ惚れする。

 

 そういえば朝、この部屋はグレーの海を漂流していたはずだった。なぜ私は夕方、八百屋に行くことができたのだろうか。いや、なぜ私は朝、ここからどこかへ行くことができなかったのか。それは私が元の世界で、魚を調理して食べることを想像できなくなっていたことと、似ているような気がした。

 また今玄関のドアを開けたら、八百屋までの道が消えているんじゃないだろうか。不安は、じっとりと忍び寄ってくる。当然だと思っていることが当然でなくなる瞬間を、いつも恐れている。でも今日は、料理が好きだったことを思い出せたから、そしてそのセレモニーに立ち会ってくれる夜という人といられたから、随分と安心した。また明日が来たらドアを開ければいい。そのときに広がる景色はわからないけれど、少なくとも今日獲得した経験の続きに、明日の景色や明日の身体はある。そんな当たり前のことに信頼がおける、こういう日が続けばいいなと思った。夜はいい一日だったね、と言ってそのままソファで眠ってしまった。初めて会ったときは妖精か心霊かと思ったほど透き通った存在だった夜は、食べた食器を片付けずにぐうぐうと寝るただの怠惰な子どもになってしまった。私の気高いセレモニーも、所帯染みた感じだ。けれども今まで、誰かに手料理をふるまったことがまったくなかったが、このゆるやかな共有は案外心地よい。眠る夜にタオルケットをかけて、そっと頬にかかる長い髪に触れた。細い髪の頼りない感触。頬の産毛。ここに他人がいる感触が確かにした。彼女と私はただ生きていて、食べ、眠り、きっと明日も目覚めるだろう。

 

 

 

 

 その次の日から、世界は急激な発展(?)を遂げた。朝目覚めて朝食をとり、カーテンを開けて洗濯をして、日用品を買った帰り道ふらふらと伸びた影を見ては夕焼けの力強さを知り、また眠り、不思議な夢を見てはまたここに戻ってくる。タンス預金は見る間に減っていくけれど、そこに喪失感や焦りはなくて、生活の中にただただ浸っていた。夜は家にいたり、いなかったりして、猫みたいに生きていた。私が飢えていた日常は、こんな感じだったのかしら。シャープネスがかかったみたいに陰影が深く、そして少し彩度が低く見えるこの世界の光景に、目が慣れて、幸せでも不幸せでもないことに鈍感になっていった。この世界は、子どもの頃に住んだり訪れたりしたことがある町が三つくらいと、大学生の頃に住んだところが一つ、そして現在住んでいた町の合計五つくらいの記憶がごっちゃになって形成されていて、便利だった商店街や好きだった公園、もうなくなってしまったパン屋さんなんかもあってなかなか見所がある。しかし大いなる自然、例えば海や山や森などにはまだ行き着けず、そういう壮大なものへの想像力が足りないのかもしれないと思った。太陽と月、空のグラデーションだけがそこにあって、私はその下で生きていた。生きている、ということを繰り返し疑いながら、私は生きていた。思えば以前は、どうしてあんなにもひりひりと、生活のすべてにおいて過敏になっていたのだろう。あの頃は確かに生きていたはずだが、生きていることがとてもわかりにくかった。どうして、お湯を沸かしご飯を炊かなければいけないのか、どうして、日々の業務をこなさなければいけないのか、それをやらなくなったら誰か困るのか、困ってはいけないのか、私は果たして困るのだろうか、などと考えに考えてもう頭の中の容量がそれだけでいっぱいだった気がする。それらすべてを放棄してもいいかもしれない今この世界で、結局やっていることはお湯を沸かしご飯を炊くようなことだ。繰り返す、ということ自体に潜んでいる力に、結局私は勝てないのだ。そしてきっと勝たなくてもいい。どうして、などと考えるよりも早くお腹が空いてしまう。ここに来てから、鈍くなったおかげで気がつくこともある。私がいつもの散歩道からかなり遠回りをして帰っても、夕食が食べられないほど遅くなることはない。他人は全然私のことを気にしていない。夜はよく一緒にいる近しい存在だからといって、コントロールできる訳ではない。この世界は「私のためにある限りない世界」だからといって、嫌なことが全然起こらない訳ではない。いつもの散歩道で会っていたかわいい白い野良猫が、ある日車に轢かれて死んでしまっていた。私は、あまりにもショックで一度家に帰って、少ししてから袋とスコップと道端で摘んだたんぽぽを持ってまた現場に行ったのだけれど、もうそこには何もなくなっていた。

 ここで起こることはどんなに劇的なことでも、些細なことでも、どこかが懐かしく、よくある感じがした。グレーの空間はもう現れない。夜が言っていた、私のしたいことは何で、会いたい人は誰なのだろうか。家で家事をしながら考えていても特に思いつかず、私の中にはそもそもその答えはないような気がして、なんとなくお金が減っていくことも気になったので、ハローワークで見つけたお菓子工場での作業のアルバイトに応募してみた。

 

 

 1週間の短期バイトを募集していたのは、割と大きな食品会社の製菓部門で、ちょうどクリスマスに向けて期間限定の生ケーキを作る工場のライン作業の部署だった。そういえばもうそんな季節だったのか。それとも暦の順番もここでは継ぎ接ぎなのだろうか。もう時が過ぎることに無頓着になってしまった。さて初日、前職(?)のルーティンワークで完璧を自負していた私は、この仕事をなめていたことに気づいた。仕事はひたすら流れてくる白いケーキに苺を乗せる作業だったが、これは本当に大変な仕事だ。いつもコンビニで安っぽいパックに入ったケーキを無感動に眺めていたけれど、もしもあれがこんな風に作られていたとしたら、そんなこと、気がつけるだろうか? 流石にコンビニのケーキは機械で作っているかなあ、でも機械を入れるよりこうやって短期バイトを雇う方が安いのかなあ、でもこんな、生身の人が一生懸命やっていても、そこに手作りのぬくもりなんて一切入る余地がないなあ、今私がこの苺にどんな思いを乗せようと乗せまいと、全然誰にも響かないなあ…。余計なことを考えながら手を動かすので、周りの同じバイトの人よりも私は手際が悪かった。むしろ私以外のバイトの人たちは、こういう仕事ばかりしてきた経験者なのか、非常に素早い手つきで苺を正確に乗せていった。作業中は、当たり前だが誰も一言も喋らない。私はどちらかと言えば、仕事をうまく省くことが上手なタイプの人間だったけれど、皆が勤勉に働く姿を見てこれはもっと上達しなければと思った。1時間に何個苺を乗せたかということは特に評価されず、給料は皆一律の契約だったが、だからこそ私は精一杯力を発揮しなければ申し訳ないと思った。昔、いわゆる仕事算の問題文で、ある仕事をAさんは6日で、Bさんは3日でできます、二人が一緒にその仕事をすると何日でできるでしょう、というような文章を読んで、それはAさんの代わりにBさんのような人をもう一人雇った方がいいんじゃないの、とどうでもいいところに引っかかっていたけれど、今まさに私はそのAさんの立場になっていた。違う立場になって初めて気がつくことは、たくさんあるのだ。

 

 作業はぶっ通しで行われ、少し休憩は出来たものの夕方の終業時間には疲れ果ててお腹もぺこぺこだった。努力はしたが一日ではそんなに上達はしなかったことに少しがっかりしていた。バイトの人たちは白いマスクとキャップを外し、作業服を脱ぐと、それぞれに種類の違う感じの人たちだった。大変勝手なイメージでこういう仕事に就く人はあまり社交的ではないのかと思っていたけれど、それも人それぞれで、年代性別見た目もバラバラだった。一人の私と同い年くらいの女の子は、更衣室で作業服を脱ぎ、その下に着ていた薄いTシャツも脱いで、かばんから取り出した衣装にわざわざ着替えていた。その衣装は、こんな時間からでもどこかのイングリッシュガーデンのお茶会に行きそうな、あまりその方面は詳しくないのだけれどクラシカルな雰囲気のロリータファッションというのだろうか? とにかく今まで私は一度も着たことがない類の服だった。何かのための衣装にしか見えないが、彼女にとってこれは普段着なのかもしれない。どこまでも繊細に作り込まれていて、却って強靭さを感じさせる。お人形さんは私を見て口を開いた。

 「ねえ、あなた市内の子? この工場まで来るの、結構遠かったでしょ。こういう仕事っていつもどこここっていうような場所に来ないといけないのよね。バスなら、一緒に帰らない?」

 すごく高く甘い声の彼女は、さっきまで見ていたケーキのような化粧をしていた。顔の作り自体は、ぺちゃっとしていてそんなに印象が強くないけれど、非常に頑張って人形風にしているようだった。従業員送迎用の大きなバスに乗り、二人で帰った。彼女の名前は私の親友と同じ、「とうこ」だった。漢字まで一緒なのかわからないが、なるほど彼女の雰囲気はどこか塔子に似ている。顔や服ではなくて、精神の底にあるものが似ているような感じがした。

 「ねえねえ朝絵ちゃんは、どんなところに買い物に行くの? 目がぱっちりしてるから、まつげとかつけたら素敵。スカートの方が似合うかも。お休みの日に一緒に買い物行かない?」

 とうこは一緒にというのが好きなのか。そういえばそうだったかもしれない。もう長く思い出していなかった。そしてとうこは、夜の次にここで私が名前を呼べる人になった。

 

 

 「私、こういう仕事が本当に好き。世の中のものも全部、こんな風に同じサイズのものが同じ速度で流れていったら、とてもきれいだし安心できる世の中になると本気で思ってる」

 とうこに、この仕事は難しいね、私は料理がそれなりにできるから苺を乗せるくらい上手にできると思っていたのに、と言ったら、笑いながらこういう仕事は全然料理の経験は関係ないわよ、と言われ、今までにした大好きな流れ作業のことをいろいろと聞いた。そして流れ作業の仕事をする前は、他の仕事をしていたとも聞いた。この工場でずっと勤めているらしい、60代くらいのパートの女性たちは非常に慣れた手つきで働き、どっしりとした貫禄を見せつけるが、とうこの素早さと正確さは、そういう経験から滲み出るものというより、その作業の中に自分を没入させることで快感を得ているような、自分を殺すことを楽しんでいるような感じがして、少し怖いと思っていた。工場の中で見るとうこの目は、目しか見えていないのにぱっと見てすぐにとうこだとわかる。機械の一部のような、レンズのような大きな目。ロリータファッションは彼女なりの、何かと彼女を繋ぐためのかすがいかもしれない。

 「ここの仕事が終わったら、お正月はゆっくりして、もう少し収入のいい工場に行こうかな。最初はわからないから身近な食品を扱っているところばっかりだったけど、もう少し精密なのや難しいことでもしてみよ。すっかり足腰も強くなっちゃったし。私、昔から自分は病気がちで、人に助けてもらってばっかりで、自分は大きくなったら人に恩返しをできる仕事をしなくちゃと思っていたの。こう見えても、教育関係の仕事が長かったのよ。学校の先生を少しと、塾の講師がちょっと長め。そこで笑顔で張り切って話していた私は、その時間のための私だった。けれどだんだん、相手のためをもっと考えなきゃ、もっといい先生にならなきゃと思っていたら、サービスが多すぎるというか、感情を切り売りしているような気がしてきて。先生を辞めてからは飲食店とか、夜のお店とかでも働いていたけど、結局お客さんは皆、お金を出して私の感情を買っているんだ、としか思えなくなった。相手、まあお客さんでも生徒でも職場のお兄さんでもいいけど、とにかく他人は、自分の感情が揺れ動くことを私には容認してほしいと思っている。けれども私には、常に明るく優しく、自分を攻撃しない存在でいることを強いている。お金を払って。その対価として、お金というのは何か全然、違うという感じがするの、わかってくれる? お金がいくらならいいということではないの。私は、明るく優しくすることが嫌だったわけではなかったのに、彼らは、彼らからは明るさや優しさが私に向けられることはなかった。いつも背筋が凝って、身体のどこかが緊張しているような感じ。その状況がさらに、私から明るさや優しさを受容する機能を失わせていった気がする。子どもの頃は何もできない病弱な子だったけど、あの頃は、受容するということがすごくよくできてたのかもしれない。意識してもなかなか、できるようにはならないから。今、工場で働いていて、このスピードの中でいろいろな過去のことを総括している。何も考えていないように思えるけど、無意識の中で嫌だったのに嫌だと言えなかったいろんなことが、処理されていくから、また新しいことが見えるようになるかも。とにかく、作業に没頭してわかったのは、私の中には処理しきれない怒りの塊があったことと、意外と運動神経はいいんだなということね」

 バスの車内で、私は殆ど相槌を打たなかったがそれでも彼女は話し続けた。彼女が分析するように教育機関や飲食店での彼女の振る舞いが演技のようだったとしても、それで今の工場での彼女の振る舞いが自然な、少なくとも彼女自身が納得してやっているものかと言われたら、怪しかった。私もそれなりに美術館の仕事ではそれっぽい感じに振る舞っていたと思うが、ぼんやりできる時間も多かったのでそこに感情の切り売りなんて発想がなかった。期待に応えたいという気持ちが、とうこを頑張らせてしまうのだろうか? でもそこに達成感ではなくて搾取されている感じが生まれてしまうのは、どうしてだろうか? とうこは一体何が不満で、本当は何がしたいのだろうか? よくわからなかった。

 

 もしかしたらファッションやコスメの話をしたらもっととうこと仲良くなれたのかもしれないけれど、あっという間に契約満了の日が来て、クリスマスも来た。休憩中に菓子パンがもらえたので、これ以上ここで働いていたら体重がとんでもないことになりそうだった。何か話すべきことを話し損ねたようで、とうこのことが気がかりだったけれど、住所も電話番号も聞かないままとうことはそれ以降会えなくなった。こういうとき、誰か上手な人が作った物語なら、偶然出会った変わった感じの女性はキーパーソンになっていて、主人公の疑問を解いてくれてもいいものだが、私が作ってしまったらしいこの世界の設定では私をもやもやさせるだけでとうこは過ぎ去ってしまった。過ぎ去る、という表現はいかにも私の視点からしか物事を見ていないけれど。

 とうこが語り出したことを私は妙に疑ってかかって聞いてしまったけれど、これは真相がどうという問題ではなくて、彼女はただ、例えば実家で布団やこたつなんかに入って、母親に仕事の愚痴をちょっと零して、あんたそんなのがんばんなさいよとか、まあいいんじゃないやりたくなかったらやらなくってもとか、部外者的な無責任なコメントを言われて、でもー、と言ううちにそのまま寝てしまった、というようなやりとりを求めていただけかもしれない。ケーキ作りのバイトが相当大変だった、という話をソファでだらだらしている夜にいくら話しても、ケーキ、いいなあという反応しか返ってこないが、そのやりとりが疲れを軽くしてくれているのは明らかだった。感情、対価、受容、機能。それらは確かにそういうことだけれど、そこに言葉を持ち込んで絶対的な理屈にしていくことは、殆ど不可能なほどに難しいことだと思う。

 

 

 

 

 

 そういえば、この今の住居には集合住宅にありがちな、金属質のぴかぴか反射する郵便受けがあり、そのマンションのように区分けされて並んだ扉の106号室と書かれたところには、私宛の郵便物が来ているはずだった。しばらく気がつかなかったけれど、この世界にも郵便屋さんや新聞屋さん、チラシをポスティングする人などはしっかりいるようだった。私は毎朝ちゃんとチェックしていたのに、私宛に来るそういったものは、すべて私の名前が書かれていない類のもの、例えばピザ屋や水道業者のチラシばかりだったことに今更気がついた。会員になっている服屋のセール案内や、公共料金の案内でさえ来ていない。もう体感では2ヶ月は経とうとしている。ここで出会う人は話をしてくれるし、もちろん私は透明人間ではない。どういう訳かうまく理解できないが、今の私に必要ないことだから、私がここにいるということが他の人に知られていないということ? 

 そういうもやもや(この世界は案外もやもやさせられる事柄ばかりだ)を引きずったまま新年(?)を迎え、6日くらい経った頃に初めて私宛の手紙が届いた。本当に、忘れたかった訳ではなかったのに、私はやっとまだ三河に会っていないことに気がついた。

 

 

 「前略 お元気ですか。最近はサークルでもなかなか顔を見ないですね。忙しいのかな。僕もあまりサークルには熱心ではないけれど、11月の学園祭では今年一番の写真を出品していたよ。ところで、もし興味があったらうちの大学に遊びに来ませんか? 教室は水曜日の午前中なら他の学生もあまりいません。一般大の子から見たらどんな風に見えるんだろう。来週から大学も開きます。また、よかったら。あ、明けましておめでとうございます。 草々」

 そのかしこまっているのか何なのかわかりにくい文章の下に、小さく三河巧、桐野朝絵様、と書かれていた。三河はそういえば意外と筆まめで、よく自分の展覧会の案内や暑中見舞い、年賀状などを送ってきていた。

 

 

 私の通っていた女子大学の、他大学と交流がある写真サークルで、私と三河は出会った。女子率の高いゆるやかなサークル内で、他大学しかも美大の男の子というので、三河は一目置かれていた。美大の中にいくらでもそんなサークルはありそうなのに、どうしてわざわざ他校のサークルに入ったのかと聞いたら、女子が多いから、という明快な理由を話してくれた。そしてこれは推測だが、「美術」なんてよくわかってない文系の女子大生の中にいることが、彼にとっては外国を旅行するように、心を軽くしてくれることだったのかもしれない。

 

 

 追憶は人を感傷的にさせるものとばかり思っていたけれど、こんな風にこれまでの経験を確かめ、順番に物事を思い出していくことは、大らかな物事の仕組みを解明していくようでもあった。流されていく個人の時間が、このときだけは別の体系に紐づけられていることをしばし思い出せるようになったようだった。そのことは非常に上手に隠されていて、普段は気づくことができないけれど、例えば遮るものがないだだっ広い河原で、土手の上を歩いていて、真っ赤な夕焼けが私を包み、私だけでなくすべての物質の影が長く伸び、やがてピンクとブルーの混ざった淡い闇がやってくるのを見たときなんかに、感傷を超えて、そのことがしばらく実感できる。私という生命の中の紐に書かれた、その言葉を少しだけ読んでみたような気持ちだ。三河と初めて話をしたときに、こんなに寂しい感じの人は初めて会った、と思った。けれどもこういう、世間話とはまったく違う上手く説明するのが難しい話を、一緒にできそうな人だと直感的に思った。と、いうことを思い出した。

 

 彼の絵のことは、今はあまり思い出せなくなってしまったけれど、彼の撮る写真は、私が言葉にできないことをぱっと切り取っているような、何の変哲もないがゆえに普通の人なら絶対に見過ごしてしまうことを撮っている写真だった。私はそれが好きだった。

 

 

 彼が通う美術大学へは、バスで川沿いを北上して山手へ向かう。やはりあまり道を思い出せなくて、私はそこに行ったことがあっただろうか、それすらも曖昧だ。こんな追体験のような出来事が、今当然のように起こっているけれど、もしもこれがどの世界でも初めて起こったことだとしたら、私と彼とはどうして一緒に居始めたのだろう。起源はどうしても曖昧だ。川の流れに逆らって、山の勾配に逆らって。記憶ではなくて地図を頼りに辿り着いたその建物の4階へ向かう。ひとつ、ドアが開いていた。午前中だというのに、西日みたいに明るい光が満ちた部屋だった。暗いのに明るいその部屋の中に、絵を描いている人がいる。これは、絵を描くということに対する私のイメージが具現化しているのかもしれない。矛盾したさまざまなことが起こっている部屋。そして、とても静かな部屋。まばゆいばかりの大小さまざまなサイズの四角形が、私を見ている。その四角形は、どんなに目を凝らしても私には何が描かれているのかわからない。また、この「絵がわからない」という感覚に打ちのめされそうになる。私が生み出した、私のための世界だとしても、それは変わらないのか。卵のような輝かしい色だけが、私に認識できることだった。逆光になっている人影が、振り向く。

 「あの、三河さん、ですか? 手紙をもらったので、」

 そこに立っていたのは、確かに三河だった。けれどその容貌は、若い頃の、私の母だった。

 「あら、朝絵。よく来たね。こんなところまで」

 私によく似ている声。母に名前を呼ばれた懐かしさに、胸が張り裂けて私の中にある砂が零れ落ちていきそうだった。砂? よくわからないけれど、そんな不可思議な例えでしか表せないような、ありえないことが起こっている。

 私の母は、元々いた世界ではそれなりに歳をとっているし、うらやましいほど生活感が溢れているし、不可思議とは縁遠い存在のはずだ。けれども家にあった昔の写真に写る若い頃の母は、奇妙な魅力を備えていたのを覚えている。その危うさは、自分自身に同化していくような奇妙さだ。それは私が娘だから感じることなのかもしれない。自分に同化していくような生き物が目の前にいて、しかも過去に出会っている、別の人間だと認識している。私は何を間違えてしまったのだろう。

 

  「間違い? 朝絵は何も間違えていないじゃない。間違えるということはそもそも、そんなことは、絵画の中には無いのよ。それを間違いだとか失敗だとか、あなたが思うだけなの。あなたがそれを思う、それでも絵はここから動かない。動けないのよ。あなたは諦めてその絵を仕舞ったり、切り裂いたり、燃やしたりもできるけれど、その前に思い出して。何度でもあなたはその絵との関係を結び直すことができる。あなたが、絵の前からいなくなってしまうまでは」

 

 少し目が慣れて、輝く四角形たちの輪郭が見えてきた。三河らしき人の言っていることはよくわからないが、四角形たちにはちゃんと質量があり、側面と裏があった。そこはやたらと現実的だった。中途半端とも言えるだろう。その中途半端な領域にはみ出した絵具は、まだ濡れている。

 ほんの少し触れると、ぬるぬるしていた。生き物の体液を思い出して、気味が悪いというか、おいしそうというか、自分の中にある原初の本能に気づかされる感じがした。卵色に見えていた色は、何色かが混じり合ってできているようだ。赤や緑や白や青が、含まれている。

 「おいおい、油絵具は触らないほうがいいよ。いろんな金属も入っているからね。というか、乾いてない絵を触る子なんて初めて見たよ。やっぱりちょっと変わってるな、朝絵は」

 からからと笑う低い声が心地よい。その声は、私の頭の中でだけ聞こえたようだった。やっぱり昔、私と三河はこの教室で出会ったのだ。その後、布切れをもらって手を拭いて、絵具や道具の話を聞かせてもらったのだった。私は彼に写真のことを聞きたかったのだけれど、直接的にその話をしたことはそれからもなかった。今目の前で起こっていることとは違ったバージョンの記憶。

 

 「朝、絵を描くのが好きなの。それで今日は、来てもらったの」

 そんな理由? 私は目の前にいる若き母の姿をした誰かに、聞きたいことが山ほどあった。私は、どうして生まれたの。どうして死ぬことになっているの。私にはどうして絵が見えないの。どうして、彼と一緒にいるのにそこから一歩も動けないの。悔しい、この日常が、あまりにも私が望んでいない風にしか、けれど私には望みが無い、それが見えない。どうして、いつか死ぬと知っていてあなたは私を生んだの。あなたはそれ以上教えてくれないのに、一体、何をして過ごせと?

 とめどない疑問が、怒りではなくて単なる問いが、矢のように生まれては眼前へ飛んでいく。最初は光に吸い込まれていっていたけれど、少しずつ光が弱くなり、四角形はその信頼を失って、ただの四角形になっていった。とても悲しい光景だった。

 

 「そうね。朝絵は、間違ったと思っているのね。私と出会ったことや、私と一緒にいることや、もしかして私から生まれたことさえも? 今、あなたが作り上げた世界は、限りなく、間違っていない状態をキープしている。それで、満足している? あなたが幸せなら、ずっとここにいてくれたらいいのよ。でもさっきも言った通り、絵はあなたがいるから描かれるし、光るけれど、あなたが去ってしまえば、何もないのと同じ。絵は少しも動かなくて、あなたが常に揺れ動いているだけ。どうして、ということは私にも全然わからないの。ごめんね。私はあなたを抱いたときと、あなたの妹になるはずの人を失ったとき、どうして、ということに少しだけ触れられた気がしている。けれどあなたは私とは別の人だから、これは答えにはならないでしょう」

 

 いらだちも慈しみもない凪のような声で、母は、三河は、そう言った。光が完全に消えて、まぶたが落ちる。そのまますっかり外が暗くなるまで数時間、その教室で眠ってしまった。目が覚めて、誰もいなくなり、何もなくなったがらんどうの教室で、今生まれたように私は泣いた。

 

 

 

 

 

 2週間ほどは疲れと冷えでどうしようもない体調のまま自分の部屋にただ居ることしかできなかった。布団をかぶっても暖房をつけてもただただ寒く、身体の中心に氷の塊を抱いているようだ。呼吸をすることさえ、どのような順序でしたらいいのかわからない。三河のこと、母のこと、塔子のことを思い出した。次に会えるのはいつだろう。もう、会えないのかもしれない。次に会ったとき彼らはどんな感情を向けてくるのだろう。どの世界でもいいのだけれど、私はどんな風に彼らを抱き、彼らに抱かれていたのだろう。あの教室で絵を見てからは、どうにも調子がおかしい。平穏な日常に、突然現れる理不尽なこと。例えば親しい人が亡くなると、人はいつか死ぬよねと了承していたはずの私は、世界との約束の重さに耐えられなくなる。また例えば好きだと言っていた人が冷たくなると、人の心は変わるよねと達観していたはずの私は、無常観への信仰を簡単に裏切って怒りに我を忘れてしまう。でもそれは、起こることなのだ。当たり前に起こることは、お湯を沸かすことや桜が咲くことと同等だ。ありえることなのだ。そのありふれた事象と精神の葛藤の間に、私は常に揺れ動いている。揺れ動くたびに、細かな傷がつく。その揺れ動くエネルギーの振幅に疲れてしまって、きっと私は以前の生活で、何も感じないことにしてしまったのだろう。それはうまくいっていたはずだった。私の生活には何もない、事象と精神の間には何のギャップもない、そう信じ込むことで、私は世界を受け入れられると思った。並行に並ぶ線のように、主体として流れる時間の川と、それを眺める客体の私は在った。しかし客体の私は、いてもいなくても時間の川にとってはどうでもいい存在であることは明らかだった。そうやって、ついに私は時間や空間から弾かれてしまったのかもしれない。流れ着いたこの世界で見た絵は、事象と精神のギャップをそのまま包み込む広さを持っていて、それでいて、見ている私に主体であることを強制する力があった。生きている現実を突きつける、理不尽さを持っている。がっくりきてしまって、料理をする気力もないくらいに。絵についての分析は、これくらいにしておきたい。とにかく寒くて奥歯が震える。いくら寝ても、自分の命だけでエネルギーを生み出すことが出来ないこの小さな身体が疎ましい。

 

 

 

 

 やけに静まり返った世界で、私はあてもなく自然を探した。用水路沿いに伸びる、少し勾配がある舗装された道をしばらく登り続けると、舗装されていないデコボコ道になった。用水路は自然の川になり、はっきりしていた川の輪郭はだんだんと境目が曖昧になっていった。ずっと朝が続くように、新鮮な光が降り注いでいた。光は、名前も知らないような細い草の葉の一枚一枚にちゃんと降り注いでいて、細い草の葉は律儀に影をつくり、緑色を除いて、光を吸収しているようだった。川の水は多くなっていき、池のような、ダムのような水溜りになった。どこにも、私がショックを受けるような事柄はなく、一体何に打ちひしがれていたのか、ここではもはやよくわからなくなってきていた。水溜りは澄んでいて、底の石が透けて見える。小さな魚が泳いでいる。こういうところに、きっと小さな頃によく遊びに来ていたのだろう。遊ぶ、ということが今は難しく感じるけれど、本当はこんな風にただ居るだけで心と身体は遊んでいる。持て余している、ということの素晴らしさよ。

 水溜りの奥に、赤い欄干の橋が見える。多分、昔どこかの渓谷に家族と一緒に行ったときに見たことがあるものだ。そのときはその先まで行くことができなかった。欄干は木でできていて、赤茶の塗りが剥がれている。橋を渡ると、小さなお地蔵さんと祠があり、何の気なしに手を合わせて、しばらく道を進んだ。険しくなっていく道を歩いている途中は、その足元の狭い窪みの連続を道と呼び、踏みならされた石の連続を階段と呼んだ。ここでは歩くという行為は、一定の速度で進む縦のスクロールを見つめながら足を置く場所を瞬時に選び取るということであった。森の中は捉えきれない立体と奥行き、重なりで満ちていた。捉えきれないことが、私に力を与えてくれているようでもあり、私の中にある捉えきれない無数の構造に、注意を向けさせるようでもあった。教科書で見たことがあるだけだけれど、私の身体もまたこの森のように、非常に小さい構造の中で非常に素早い反応が一斉に起こり、生まれては死に、また巡っていくのだろう。汗をかき、黒く湿った枯葉を踏み鳴らし、新緑の透ける光をまだらに浴びて、私はただの自然になった。

 

 なだらかな坂を下りていくと、また別の町のようなものが見えてきた。一体どのくらいの時間歩き続けたのかわからないけれど、疲れ知らずの足は好奇心の赴くままに坂を駆け下りた。光はずっと一定で、白夜なのだろうか、と思ったくらいだ。いつまでも朝が続く。この間まで自分の部屋でうじうじとしていた頃はキッチンに立つことさえ億劫だったのに、ただの自然になった私は野生の生き物のように軽やかに動いた。軽く、踏み出して着地した反動で颯爽と歩いた。町に近づいて、舗装された道に出てから少し我に返った。棘の生えた小さい植物の種が、たくさん服についている。

 

 この小さな町は、この間まで私が住んでいた町とはまた違って、記憶をごちゃ混ぜにした結果出来たような雰囲気がなく、あくまでも一つの町として完結している。箱庭の外に間違えて出てきてしまったのかもしれない。そういえば、私の部屋はどうなったのだろう。つい先日まで、時々やってくる夜とのあたたかい共同生活があった部屋。夜は、この頃あまり顔を見せなくなっていた。私が自分のことに必死すぎて、気がつかなかったのかもしれないと思うと、後悔の念が押し寄せた。けれども、もし私が元々いた世界でも実は夜と出会っていて、夜はずっと私の側にいてくれたのに、私がいつも自分のことばかり見ているせいで気がつかずに過ごしていたとしたら? どうしてそんな発想に至ったのかわからないけれど、なんとなくさっき見かけたお地蔵さんの表情に、子どもらしい夜の顔を思い出したことが関係しているのかもしれない。なんとなく、もう私はあの部屋にも戻れないような気がしていた。

 

 

 小さな町は人影がなく、生きている人はもしかしたらいないのかも、と思うと窓を覗くのも恐ろしく思えた。昔々に整備されたらしい、直線で構成された道路と背の低い家々。すっと、その直線をそよ風が抜けていく。風は、この町がまだちゃんと生きていることを感じさせた。背筋の緊張がほぐれて、なんでもない道端の草や枯葉に目をやる。車のブレーキの痕や消えかかった白線、書き直している途中の横断歩道。「飛び出し注意」の看板はやけに多くて、手作りの個性が光る。すごく少ないだけで、人がいない訳ではないらしく、バス停でバスを待っている年老いた女性や、制服を着た背の高い男子学生にも会った。この間まで住み着いていたところに比べると、光がなんとなく儚くて明るい透明感を持っている気がする。緯度や経度、地形や気候がそうさせている。その変化は、私が物理的にここまで歩いて移動してきたことに因るのだ。私の思いを反映しているのではなくて。

 

 当然すぎて何を今更と言われるかもしれないけれど、世界は繋がっていて、「私の世界」はいくらでも外へ外へと拡げていける。それと同時に、私は「私の世界」をいくらでも狭く小さくすることも、他人を締め出すこともできる。できるということは、恐ろしくも素晴らしい。そして「私の」という前置きは、森の中や知らないひなびた町を歩くときには、すっかり「私の」頭の中から消えてしまっている。そんなとき私は、一体何者なのだろう? 

 人がほぼいない町で佇んでいると、なぜか急に内省的生活から抜け出した感じがして、やたらと身体も軽く、踏みしめる足に現実感がある。

 「あれ、朝絵ちゃんじゃないの。久しぶりねえ。覚えてるかしら、ほら昔この辺りにあった駄菓子屋のおばちゃんよ。あらあら、きれいになって。でもぱっと見てすぐ朝絵ちゃんだと思ったわあ」

 「え? ええと、こんにちは。ああ、駄菓子屋さん…、ごめんなさい、随分小さい頃にお世話になったのでしょうか」

 「あらあ、忘れちゃった? やっぱり朝絵ちゃんだったのねえ。お母さんの月子さんによく似てきたわねえ。あなたたち家族は1年半くらいしかこの町にいなかったもの、忘れちゃっても仕方ないわあ。朝絵ちゃんは5歳くらいだったかしら。月子さんに連れられてしょっちゅうこの辺りを散歩して、向こうに見える山に登っていたのよ。ちっちゃい朝絵ちゃんがやたらと山を気に入って、山の上で、うちで買ったお菓子を食べるのがお気に入りだったのよ。可愛かったわあ。月子さんも、ここに来てすぐの頃はちょっと落ち込み気味というか、事情は詳しく知らないんだけどね、思いつめた顔をしているときもあったのよ。でも朝絵ちゃんにせがまれて山で遊ぶうちに、だんだん明るい表情になっていった。やっぱり親にとって子どもは太陽なんだわあ。おばちゃんも、朝絵ちゃんの笑顔は太陽が笑っているみたいと思ったのよ。よく覚えているわあ」

 それは本当に私なのか、と聞き返したくなるエピソードだが、幼い頃はたくさん引っ越しをしたので、そのうちの一つの町なのかもしれない。おばちゃんは、最近この町の子どもが減ってしまって駄菓子屋を畳んだこと、私が特に気に入っていたお菓子はゼリーとグミの間のような食感のとても小さいお菓子がきちんと並んでパッケージに入った商品のソーダ味だったこと、夏は麦わら帽子を被って虫取り網を持って山に行っていたこと、蝉を手に持っておばちゃんにあげようとして、うっかり店の中で蝉を放してしまい大騒ぎになったことなどを話してくれた。エネルギーの塊のような小さい頃の私。誰でも子どもの頃にはそれを持っていたのだろうか。今でもどこか奥の方を探せば、出てくるだろうか。

 

 

 おばちゃんに聞いて、山の方へ歩いた。途中、コンビニエンスストアがあったので、駄菓子を買った。駄菓子屋は減っても、意外としぶとく、こういう駄菓子は生き残っているみたいだ。体感では不眠不休で8時間くらい歩いていて、さらにこれから小さい山に登ろうとしているが、時間が巻き戻されているように力が湧き出てくる。若返りの水を飲んだように。

 

 山はさっきまで歩いていた森に比べると、きちんとした道が多くて歩きやすかった。それでも、小さな頃の私にとっては冒険だっただろう。どうやら、山頂にお寺があるようだ。新鮮な気持ちで石の連なりを登っていく。過去と交信しながら歩くと、5歳の私の幻覚が見えそうだ。自然の中にいると、子どもの頃の自分に会えるような気がしていたのは、本当に、未だに5歳の私の魂の切れ端が自然の中に漂っているからかもしれない。その魂が空気と一緒に私の身体に入り、結合していくことで、私はどんどん若返っていくようだった。山頂に近いところに出てくると、小さな展望台とロープウェイ乗り場があった。それはこれまでの経験の中で、何度も見た光景だった。私はつい最近も、帰りはロープウェイで降りよう、と思った。少なくとも二通り以上の選択肢があった。途中のどこかで、記憶が途切れたこともあった。何も心持ちが変わらないまま、ロープウェイで降りてしまったこともあった。不思議なことに、誰か大切な人に会ったような記憶もあった。この山の道中での選択が何かを決め、起こり得たことと起こらなかったこと、覚えていることと思い出したことと忘れたこと、それらすべてを照らし出しているように感じられた。私は迷わず歩を進めた。山頂のお寺へ続く道の途中に、小さなお堂があった。周りにはお地蔵さんが並んでいる。靴を脱いでお堂の中に入ると、小さなお地蔵さんが壁一面に並ぶ。子どもが好きそうなお菓子や缶ジュース、ぬいぐるみが供えられている。ここにも極小の魂が寄り添って集まっていた。さっき買った駄菓子をお供えする。昔、母と一緒に同じことをした気がする。

 

 お寺に向かって歩いていたはずだったのに、どこかで道を間違えてしまい、山頂の広場に出た。

 山頂の広場は、昔々、お城が建っていた場所だったようだ。頭の上の樹々がなくなって、すっきりと澄み渡る空が現れた。見晴らしのいい日だった。太陽は、いつまでも白く輝いていた。朝の光の透明感を失わずに、ずっと輝いていた。クリア、という言葉がこんなにぴったり合う光は、きっと今ここにしかないだろう。おばちゃんが言っていた、太陽のような、という比喩は自分には有り余る言葉だと思ったし、人が、別の誰かにとっての太陽であるということは、この上なくありがたみのあることだと思った。太陽の下には、湖が見える。鏡のようで、平坦で、静かな水溜りだった。ずっと向こうには、向こう岸らしきものも見えた。太陽の光を反射して、真っ白な絵のように輝いていた。こういうことなのね、と三河のことを思い出して不意に笑みがこぼれた。こんな気持ちになったのは初めてだった。どのくらいの間、空と湖を見つめていただろう。ずっと続くように思われた朝は、少しずつ終わりへと近づく。だんだんと日は傾いて、夕方になった。ここを立ち去ることが惜しかったけれど、太陽がまた昇るまで、眠らなくてはいけない。

 

 ロープウェイ乗り場に向かうと、細くて髪の長い女性が手招きをしていた。

 「もうこれが最終の便ですよー」

 急いで券を買って、私と女性が乗り込むと、おじさんがブザーを鳴らして鍵を閉め、ロープウェイは発車した。

 その女性は、知っている人にすごくよく似た雰囲気だけれど、このときはどうしても誰なのか思い出せなかった。トレンチコートを着ていて、透き通った眼差しをしている。大人っぽく見えるがすごく若いのかもしれない。ロープウェイの車内放送が流れる。女性とふと目が合う。彼女はにこっとして、間に合ってよかったですね、と言った。彼女はこの町に住んでいるそうだ。どちらからいらしたのですか、と聞かれて、ああ私はどこから来て、どこに行けばいいのだろうという棚に上げていた根本的問題に立ち返り、うーんと考え込んでいると、彼女はまたにこっとして、そのことには触れずにこの町の数少ないおいしいお店や銭湯、シティホテルのことを教えてくれた。

 ロープウェイを降りると、彼女はまた山へ向かう暗がりの方へ行くようだった。大丈夫ですか、気をつけてくださいね、と声をかけると、彼女はすぐそこなので大丈夫、と言って歩いて行った。

 ありがとう、と言う声が聞こえた。山は一つの闇の塊になって、夜に溶け込んでいた。そうか、夜か、あの子に似ていたのだなと思って振り返ったが、彼女たちは極小の魂を自在に走らせて、小さな魚が作り出す大きな群れのシルエットのように、山そのものへと戻っていった。

 

 

 

 

 

 それからの私は、視力が2.0度くらい上がったのかと思うくらい生々しくはっきりと見える世界に降り立った。いや、実際には以前と同じ職場、家、そして膨大なそれ以外の場所を歩き回っている。元の世界に戻ってきた、というのも何か違って、もう一度認識し直している、というのが近い線だが、それでもうまく言い得ていない。

 

 長く短い時間を過ごした平行世界らしき場所は、時間の川の周りにある、伸縮性に富んだ時空間のようだった。あの場所はまだどこかに在って、私が老いて死んでしまったとしても誰かが住む町であり続ける。それは信じられた。川は流れ続けている。人の魂というものは、その流れに身を任せたり、先を急いで流されたり、納得が出来なくて流れに逆らったりしている。川を直接見た訳ではないけれど、ここのところで出会ったいろいろな人を思い出すと、そんな気がした。

 

 

 三河にはなんと振られてしまった。友達に戻りたい、ということだったが、三河のことだからどうせ他に女が出来たのだろう。どちらにしても、彼は孤独しか愛せないくせに孤独になれない寂しい人だから、遅かれ早かれこうなっていたのだ。とはいえ視力及びすべての感受性が鋭くなっている今の私は傷だらけだ。同時に彼に対するさまざまなフラストレーションも手放したので、傷だらけなのに体力がある変なバランスの女になってしまった。

 

 週末には山に登ることが多くなった。山の中は一人きりだったり、人がたくさんいたり、また一人になったり、山には山の密度と流れがある。以前の私が求めていた日常のあたたかさとは、絶対的に在るものではなくて、相対的に在って、感じ取れたり受け取れなくなったりするものかもしれない。山の頂上から景色を見る心地、山から降りてきたときの安堵、家に着いて何気なくお茶を淹れるその新鮮さと美味しさは、いつも相対的な関係の中で生まれてくる。

 

 表と裏、天国と地獄、現実と夢、公と私。そんな風に二元化することはできない。主体と客体はいつも入れ替わり、そしてふとどちらでもなくなる瞬間が訪れる。そのどちらでもない瞬間を、自由と呼んでみたら、誰にもならなくていいことを楽しめたとしたら、日常に埋もれ、日常を渇望していた人は皆、違った視点を持つことができるだろう。

 

 

 来月から美術館では新しい企画展が始まる。母にはまだ会えていないが、今度会ったら、夜に会った話をしよう。

bottom of page